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りゅう

Author:りゅう
愛媛県出身。
青年海外協力隊19年度2次隊
モザンビーク共和国マプト州の片田舎
美術隊員として派遣。
派遣期間2007年9月~2009年9月

そんなりゅうのJOCVの一部始終を、断片的にお伝えします。

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2006年11月1日(水)説明会の話
今回の説明会は18:00から。

前回の説明会は個別相談の前に抜けてしまったので、
OB・OGの方と直接お話することができなかった。

机の配置やOB・OGメンバーに若干の違いはあったものの、
内容は前回とほぼ同じだった
2006年10月22日(日)の説明会の話

ので、展開を知っている俺は余裕しゃくしゃく。
断然、他の参加者より優位に立った気分だぜ(何において?)。

このとき生の声で直接聞きたかったのは、
1.具体的に協力隊に参加するといくら積立金が溜まるのかと、
2.恋人がいるにも関わらず協力隊に参加した体験談。

1の質問については、
なんか高い志と希望を胸に集まってますよー的空気に負けて
お金のことなんか勇気が出せず聞けずじまい。
聞いても全然良かったんだろうけどねい。

2の恋人については、偶然にもYES/NO質問大会の中で
「行くとき日本に恋人がいた?」という、うってつけの質問があったので、
そこで唯一YESと答えていた人に目をつけて個別相談のときに尋ねてみた。

男性の方で、派遣されてからどうなりました?って聞いたら、
なんと淋しいことかあっさりと「いやダメでしょ?」なんて答えられてしまった!

ガビーン(古い)これはこれは全く参考になんねーしちょいショック!
そりゃあなたはすぐダメになっちゃったのかもしんないけどさー、
俺はそういうことを聞きたいんじゃなくて遠距離対策とかさー・・・
とか思っていると、こちらのやる気を削いではまずいと思ったのか、
「でもちゃんと理解を得られてれば、今はネットとかもできるし云々」
とフォローを入れてきてくれたので、大変だなあ推進員も、と思った。

その方は後日、恋人についての質問を含め、試験に関する質問なども、
メールで大変丁寧に詳しく教えてくださり、すごく感謝しています。
でも本音はあの第一声だったんだろうなと思います。
負けてたまるかと思いました。

ちなみに現地で恋人ができたという方も女性で一人だけいて、
なんとそのままゴールインしたそうで、実際いるんだ・・・と驚きました。

後々の話ですが、協力隊に参加していた俺の中学時代の女の先生が、
ネパールの方を連れて帰ってきて結婚したという話もあるので、
そーーーんなに珍しい話ではないのかもしれませんね。


山田耕平さんのCD、「NDIMAKUKHONDA(ディマクコンダ:愛してる)」
がもらえるジャンケン大会は、あっけなく敗退。

けっこうマジで欲しかったのに。


前回の説明会で応募書類をもらって帰っていたので、
いろいろ記入しながら湧いてきた質問も聞くことが出来た。
書類には目を通してから説明会に行く方が、より理解が進む。

この時点で確か健康診断は終えていた→一次試験・健康診断について
けっこう精密な血液検査が必要な上に保険適用外なので1万8千円くらいかかって、
これも後押しというか後に引けない雰囲気作りにはなったと思う。高いぜ。

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協力隊応募まで | 00:06:15 | Trackback(0) | Comments(0)
2006年10月22日(日)の説明会の話
協力隊を自分の身に当てはめて考え始めた、
2006年の秋頃。

具体的にどういうものなのか想像できないので、
やはり説明会だろうということでOB・OGの話を聞きに、
説明会に行ってきた。

説明会は各都道府県で2回ずつくらい行われているので、
興味のある方はJICAホームページで確認してみてください。

説明会は小会議室のようなところで行われ、
20人弱くらいの人が聞きに来ていた。
20代半ばくらいの人が多かったように思う。

内容は、
●ドキュメンタリービデオの放映
●パソコンとプロジェクターを使った受験の概要説明
●OB・OG数人のYES・NO質問
●個別相談
 →自分の希望する職種、もしくはそれに近い職種のOB・OGに
  具体的に細かく質問する機会が設けられました。
●ジャンケン大会
 →勝ち残った数人はCDがもらえる。
  以前、協力隊員がマラウイでエイズ啓発のために作った曲が
  大ヒットしてマラウイ国内チャート1位に3ヶ月いつづけた。
  「NDIMAKUKHONDA(ディマクコンダ:愛してる)」山田耕平さん


この日、友達とフットサルをする約束をしていたため、
個別相談とジャンケン大会には参加できず退室しました。


日時
2006年10月22日(日)13:30~
 ・松山市コムズ(松山市三番町6丁目4番地20)
 ・約2時間、入退室自由。
 ・南米かどこかのコーヒーの試飲が用意されていましたが、
  これも飲めずじまい。
 ◆内容は各都道府県、その時の担当者によって違うと思います。

応募書類もらって帰れました。


●感想●

受験に必要な手続きや準備がややこしかったけど、
具体的な情報が入ってくるとイメージもしやすく、
「行こうかな」という気持ちが少し強くなった。

OB・OGの方々は、何十年も前に行ったという方もいれば
先月帰ってきたばかりという人もいたけれど、
最近行ったばかりの人は特に、ギラギラしていたように思う。

途上国と言えば時間の流れ方がゆっくりなので、
性格も温厚になって帰ってきそうなものだけれど、
そうでもない。

主張しないと(主張しても)何もやってくれない人々の中で過ごし、
思ったことはすぐに口にして要求するようになったことが、
日本人には「気が短くなった」と感じるのだそうだ。

「機会があればもう一度行きたいと思うか」という質問に、
ほぼ全員がYESと答えていたことも心強かった。
中に一人くらいNOがいたのもまたリアルだったけれど。


このときのH18年度秋募集から1次選考の方法が変わり、
1次は書類選考のみとなったそうだ。
以前がどんなだったかは知らない。

このことで、とりあえず1次だけでも受けてみるかという気持ちは
ほぼ固まりつつあった。

協力隊応募まで | 18:44:31 | Trackback(0) | Comments(0)
動機について
俺が協力隊に応募しようと思ったのは、
自分が本当にやりたいことを見つけられる人間になりたいと思ったからだ。

大学を卒業して実家に帰って半年が過ぎようとしたころ、
職場が実家という環境から心に甘えの気持ちを持ったまま、
自分でもうだつの上がらない日々を送っていることを分かっていて、
そのことに後ろめたさやプレッシャーを感じていた。

焦った俺は早く実家や地元を離れて独り立ちしたいと思い始めた。
それは甘えを取り去りたいと思ったのか後ろめたさから逃げたいと思ったのか、
両方なのかもしれない。

転職は言い出しにくかった。
やりたい仕事なんか無いに等しいし、
今の仕事でやってみたいことのほうがはるかに多い。
それに親の仕事をやめるというのは申し訳ない気がしていた。

そんな中で父がふと言った、協力隊に行く気は無いのかというような言葉。
何の気なしに言ったのかもしれないが、食いついてしまった。

「協力隊との出会い」という日記でも書いたが、
父も参加していた青年海外協力隊の活動には、
淡い憧れのような気持ちは持っていた。

ただ、まさか現実に自分の身に当てはめようとは、
この時点でもまだ思っていなかった。

ネットで調べて、説明会へ行ったりしているうちに、
OB・OGの人たちがキラキラ輝いて見えて、
自分もぜひともああなりたいものだと思うようになったのだ。

そして自分がああなったあかつきには、
今の悩みが全て解決するようにも思えてきた。
それは幻想かもしれないが、自分を成長させるにはうってつけなものだと思った。

それから思い切って応募することにして、
とんとん拍子に一次二次と受かってしまって今に至る。
受験についてはまた別の記事で。

2年という任期は少し短い気がして不安もあるが、
日本で過ごす2年とは比べ物にならないほど濃いに違いないので、
絶対にひと回りもふた回りも大きくなって帰ってこれるよう
努力することをここにも誓います。



ほんとはもっとチョコチョコ更新したい内容があるんやけど、
この「動機」というものをどうにか消化せんとなかなか次に進めんくて・・・。
一応なんとか動機について書くことができました。
もう半年も前からのことなので忘れてしまいそうやった。

テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記

協力隊応募まで | 04:17:21 | Trackback(0) | Comments(2)
協力隊との出会い
俺が青年海外協力隊を知ったのはずっと昔。
きっと小学生の頃だろうと思う。

若い頃の父が協力隊の陶磁器指導者としてインドへ行っていたので、
インドでの不思議な話をいろいろ聞いた。

カレーの中の葉っぱは香辛料だったことや、
お風呂を沸かそうとして死にかけたことや、
聖なる川ガンジスのほとりのウンコのことや、
使用人の男の子に自転車を買ってあげたこと。

その頃父に教わったヒンディー語の挨拶は全部覚えてるし、
今でも俺はヒンディー文字で自分の苗字が書ける。

中学生の頃、教室の後ろに貼る将来設計の紙では、
確かインド・ネパール・ブータンを転々とする予定になっていた。

そして中2のときにアメリカでホームステイをしたことは、
俺の中に「あわよくば外国へ」という意識を植え付けるものになった。

その意識はあまり強く表に出ることは無かったけど、
大学のときにはイタリアへ、卒業後には中国へ。

そうやって、ごくたまに行く外国で刺激を受けながら
社会人1年目が半分以上過ぎようとしていた頃、
何かのきっかけで青年海外協力隊が再浮上してきたんやけど、
それは思い出せないくらい何かのきっかけでしかない何か。

父親が勧めたんやったかな。
なんにしろ転がり始めたのは2006年の秋。
ボランティア精神溢れる動機では無かったのだけれど、
俺の中ではすごく大事な、大事な・・・。



あっ、カレーの話とウンコの話を連続させなかったのは、
大人としてのマナーです当然。

協力隊応募まで | 22:17:41 | Trackback(0) | Comments(3)

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