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りゅう

Author:りゅう
愛媛県出身。
青年海外協力隊19年度2次隊
モザンビーク共和国マプト州の片田舎
美術隊員として派遣。
派遣期間2007年9月~2009年9月

そんなりゅうのJOCVの一部始終を、断片的にお伝えします。

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残り2日で帰国
現在、9月20日(日)が終わろうとしています。
あと丸一日をモザンビークで過ごしたら、次の日はもう帰国の途につきます。

730日あった残り任期のカウントダウンも、残すところ3日。
帰国までが隊員活動です。
今日お別れした後輩隊次の人にそう言われました。
ここ2,3日は、もうモザンビークでは会うことのない人たちと、
最後のあいさつを交わしています。

長い付き合いの人、短い付き合いの人、たくさん話した人、少ししか話してない人、
あっさりしている人、情に熱い人、趣味の合った人、合わなかった人、いろいろいました。

日本に帰って今と環境が劇的に変わったら、みんなとの再会は少し難しいものになるでしょう。
しかし、今まで見送ってきた先輩の中で、この人とはまた会うだろうなと思っていた人とは、
もう、数日後に日本で会う約束ができています。

なので今回も、この人とはまた会うだろうなと思いながらお別れをすることは、
決してさびしいばかりのものではありません。

ただ、二度と戻らない「今」というものを意識したとき、少し感傷的になります。
ここにあるこの「今」と、帰国後に来る「今」があまりに違いすぎるから。
一気にたくさんのものを失うような気持ちになります。

しかしその分、再会できたときは喜びもひとしおでしょう。
その喜びを少しでもたくさん経験できる幸運に恵まれますように。

そして帰国は、再会の嵐。

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モザンビーク ~暮らし~ | 07:13:49 | Trackback(0) | Comments(4)
財布紛失
昨日、バスで財布なくしました。
落としたのかすられたのかわからないくらい気を抜いていたので、
文句の言い様もありません。
すられたにしても、すきだらけだったこちらが悪い。
損失は日本円にして2000円くらいだからたいしたことないし。
しかし失くしたのがりょうからもらった財布だというのが悲しい。

バスを降りて別のに乗り換えるときにポケットを確認して気づいた。
気づきながら乗った。
降りるときに初めて気づいたフリして、
財布、盗まれた、って言って払わなかった。
確信犯だった。
悪知恵・・・ではない。
お茶目。

モザンビーク ~暮らし~ | 10:26:10 | Trackback(0) | Comments(0)
undo不足
9月の帰国を意識し始めると、このままじゃだめだと感じることがいくつかあり。
そのうちの一つが体格。

おいしいビールと脂っこいこちらの食事に加え日々の運動不足。
もともと体重に変化は少ない体質なのに、モザンで3kgくらい増えているっぽい。

目をそむけ続けることに限界を感じ始め、健康のためいくつか対策を考えた。

1.日記にその日の食事と運動時間、睡眠時間を記す
2.たまに歩く
3.ばかみたいにお腹いっぱい食べない

こんなもんでええのか。

とりあえず、いつもシャパ(ミニバス)で行っている村への買い物を、
徒歩で行ってみた。

約7kmもある道のりは、最初は気持ちよかったけど半分くらいまできたら疲れてきて、
しかも村が近づくと道端に学校帰りの中学生があふれ始めてきた。
慣れたとはいえ外国人の一人歩きはどうしても目立つので居心地が悪い。
時間も70~80分かかったし、これは続けるのはしんどいということになり、
今度からは歩いても半分までで、途中からシャパを拾おうと思った。

未知の途中

学校から村へと続く国道1号線。
夜、暗くて景色が見えない状態で道路とカーブだけを見ながらシャパに乗っていると、
もうすぐ実家に着く国道にいるような錯覚をすることがあって、
不覚にもそういう時はちょっと日本が恋しくなってしまう。


村の飲み屋で見つけたビールのポスター。

LAURENTINA PRETA ローレンティーナ プレータ
おいしさの秘密
PRETAは黒という意味で、黒じゃないのは、
明るいという意味のCLARA(クラーラ)という名が付いている。
LAURENTINA CLARA

【豆知識】
ちなみにLAURENTINAとはロレンソ・マルケスの女性という意味の言葉で、
ロレンソ・マルケスとは首都マプトの昔の呼び名だとか。
東京のお酒に江戸娘っていう名前をつけたみたいな感覚かな。

2M(ドイスエミ)
あちきを捕まえて
モザンビークでもっともメジャーなビールの一つ。
ポルトガル語で2をドイス、Mをエミと言う。
「わたしの首根っこを掴んで」というようなことが書いてある。


受賞ビール
もう一度LAURENTINA PRETA

「この黒は本当に良い」というようなことが書いてあり、
下のほうには、2008年ベルギー国際ビールコンクール金賞
というようなことが書いてある。

すごいですね。

モザンビークのビールが日本のよりおいしいという声は結構聞くし、
俺自身もそんな気がする。

この日はたくさん歩いて疲れていたけれどまだやることがあったし、
そもそもビールのせいでたるんだ体のためにたくさん歩いたのだから
ビールは我慢。
買い物して帰った。

モザンビーク ~暮らし~ | 14:02:50 | Trackback(0) | Comments(4)
祝日のお祭り(写真たくさん)
去る4月7日は、Dia das Mulheres Moçambicanas(ディーア・ダス・ムリェーレス・モサンビカーナス)
「モザンビーク女性の日」という祝日でした。

それに乗じたイベントごとの一環として、
学校でも学校のチームと地元の青年チームとサッカーの試合が行われました。

グラウンドというか草原・・・

グラウンドは草だらけなのだけれど、たくましすぎる彼らはそこでもう駆け回る駆け回る。
靴を持ってない子は裸足でやってたりもするからビックリ。
基礎体力が違うというか体の丈夫さが違う。

昼くらいから祭典の行われる場所に移動。
国道からそれた藪の中の集落が会場。

木陰って意外と落ち着く

カシューナッツの樹やマンゴーの樹の陰に腰を下ろす人々。
奥に見える水色のシャツの集団は、我が校のコーラス部。



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モザンビーク ~暮らし~ | 01:13:01 | Trackback(0) | Comments(4)
ライブ飛び入り参加!
2月22日(日)ライブ参加

演っちゃいました。
ほとんど飛び入りみたいなライブ参加。

週末の夜、バーで生演奏をしている光景ってのは結構あるのだけれど、
そこで演奏しているモザンビーク人アーティストのセルジオと日本大使館の方がお知り合いで、
普段からギター弾き語り+バイオリンで共演しているお二人に、
せっかくだからやってみないかと誘われたのでした。

ちょうどその頃、隊員の妹さんとお友達が日本から遊びに来ていて、
しかも2人ともバイオリンやビオラの奏者ということで俺なんかよりも全然専門的に音楽をやっている人たちだったので、思い出にもなるし一緒に演奏するということに。
(俺一人じゃ不安だったってのも多々ある)

セルジオのバンドと日本大使館の方のバイオリン。息もピッタリ。曲に深みが出る。
Sergio e Ngm3


普段から共演している息ぴったりの上の二人に比べて、こちらは当日ライブが始まってから音合わせを始めたくらいの即席デュオ。
しかも小さな頃からバイオリンとかを習ってる彼らと違って俺は完全に趣味レベルのギター。
年下の彼らを完全に頼りにしながら、妹さんとお友達と一曲ずつ一緒にやりました。

しかしそこはさすがの本格派。
ゆずの「からっぽ」を弾き語る俺に、主旋律やハモりのラインで見事に合わせてくれました。
amasotihikA




間に一曲、ソロでThe Beatlesの「Blackbird」を挟みまして。

3曲目は妹さんと一緒に「北の国から」。
飲んで踊りに来ているお客さんばかりのお店にはちょっとおとなしい曲だったかもしれないけれど、
「シィーーーー」って言って聞こうとしてくれてるお客さんもいたのが嬉しかった。
聴きに来てくれた知り合いの日本人も、モザンのバーで日本の曲が流れてるのっていいなあって、
喜んでくれました。
konatsuko


ただ、人前で歌うことやマイクを使うことに不慣れだった俺がちょっと足を引っ張ってしまって、
なんだか悔しかったのであれからうちでちょくちょく曲の練習するようになりました。

そんな機会があるかわからないけれど、とにかくもっとうまくなりたい。

モザンビーク ~暮らし~ | 08:18:02 | Trackback(0) | Comments(3)
祝!ネット開通!!
任地の自宅に、晴れてインターネットができる環境を準備できた。
vodacomというモザンビーク2大電話会社の一つのサービスで、
パソコンのカードスロット(もしくはUSB)に機器を接続して、
電波のあるところならどこでもできるというモバイルな代物。

思えばここまでの道のりは長かった。


赴任して間もない頃、今回のと同じネットサービスの契約をしようとするも、
引き落とし先の銀行口座が開設後3ヶ月経っていないという理由でハンコをもらえず、
しかも当時vodacomの電波はうちでは随分悪かったのでその方法を断念。

次に、Mcelというもう一つの電話会社が始めたネットサービスにトライ。
ネットができる機能のついた携帯電話をパソコンに接続するというもの。
これなら契約も基本使用料金もいらないし、メールチェックだけ任地でやって、
容量の大きなことは隊員連絡所でやれば済むと思っていた。

月の生活費の4割近くをつぎ込んで電話機を買い、設定の仕方が分からないので
パソコンを抱えて電話会社に持って行き、日本語表示の意味を説明しながら、
ついにネットはつながったかに思えた。
しかし自宅に持って帰ると、通話はできてもネットができるほど電波状態が良くなく、
結局その電話は無用のものとなってしまった。
幸い別の隊員に少し値引きして買い取ってもらうことはできたのだけれど。

今度は有線だ。
俺が来る前に同じ家に済んでいた先輩隊員が使っていた電話線を利用して、
田舎なのでADSLではないけれど電話線利用のネット契約をする。
電話線契約とネットサービスの会社が別でややこしかったけれど、
なんとか契約もして、ネットもとりあえず半年分の基本料金を一気に払った。

しかし使えなかった。
どうやら外の地面かどっかを通っている電話線が湿気にやられたとかで、
通話も雑音がひどく聞き取れず、その雑音のせいでネットができないとのこと。
まもなくうちだけじゃなく周辺地域全部が電話不通になった。
その状態が何ヶ月も改善されないまま、月々の基本料金だけは請求してきて、
腹が立って支払いをやめたら電話線も切られた。
どっちにしろ使えないのだから同じこと。
ネットサービスを取り扱う会社に払った半年分のお金は取り戻せない。
取り戻そうともしてない。

しばらくしたある日、学校の電話やパソコンの様子を見に来た電話会社のお偉いさんに、
状況を説明してお金を返してくれるようにお願いしてみた。
他ではどうか知らんが少なくともモザンビークではそれは無理だと、
はなから相手にされずに笑われた。
店で腐った卵を買わされて、あなたは納得してお金が払えるんですかと言ってみた。
だめとは分かっていたけれど、この時ばかりは心から悔しかった。
電話線の状態が良くなったら、これまで払った期間の分だけ無料にはできると言われたが、
ネットサービスへ払ったお金も一緒にその期間に振り替えてもらえるか分からないし、
何よりお金を払うことにもう臆病になっていた。信用できない。
なのでその申し出も蹴った。

その時俺は完全にモザンビークに敗北したと思った。
ネット環境という明確な目標があったために、叶わなかったという結果もはっきり残った。

そもそも1,2週間に一度隊員連絡所で自由にネットできるだけ贅沢なのだけれど、
日本で待っている彼女とできるだけまめに連絡を取りたいと願ったばかりに、
この長く苦しい道のりは始まったのだった。

そしてしばしの沈黙をはさんでやってきたチャンス。
なんとvodacomの電波状況が格段に良くなっていることが発覚。
帰国する隊員がネットの契約期間を半年ほど残しているので、
その契約を俺が引き継いで使わせてもらうことにしたのだった。
その手続きも、言われた書類を用意していくとこれが足りないと言われたり、
前そんなこと言ってなかったのにみたいなことを言われたり、
店員の半端な仕事のせいで随分時間と交通費を浪費したものだった。

そしてさらには、パソコンが不調、そして完全活動休止。
ネットの契約移行手続きが済んだ頃には俺のパソコンは電源が入らなくなっていた。
この国はどれだけ俺にネットをさせたくないのだ。

今は事務所のパソコンを借りているけれど、別のを用意しなければならないので
これまた一月分の生活費に相当する出費。
ちょっとお金の無心というか、ドルの手配をせねばならぬというところです。


とまあ、そんな苦労を乗り越えて、晴れて自宅からこのブログが更新できることがすごく嬉しい。
たまにしか更新しないと特別な出来事しか書けないから、正直、隊員活動の紹介としてはリアリティに欠けるなあといつも思っていたから、これからは些細なこともちょこちょこ更新できると嬉しい。

とりあえず俺、よくがんばった。

モザンビーク ~暮らし~ | 17:22:43 | Trackback(0) | Comments(0)
冷蔵庫が無かった生活が終わった。
去年、冷蔵庫の冷凍スペースにこびりついている氷を、マイナスドライバーで削り取っていた。
すると突然、ガツッとぶつけたところからガスがプシューーーッと噴出してきて、
冷蔵庫が冷たくなくなっていった。

それまで俺は、壁面内部を冷却ガスが通過することで中を冷やしているということを知らず、
平気でその壁面をガスガス氷ごと削っていたのだった。

それが運悪くもう年末で、モザンでよくあるように修理屋さんが約束した日にドタキャンだったり、
俺のほうでも予定が合わずに修理のタイミングを逃してほったらかしにしていた。

そのせいで最近までは具の無いチャーハンとか、レトルトソースをかけただけのパスタだとか、
野菜や肉が保存できないせいでバランスの悪い食生活を送っていた。

それも先週末まで。
やっと修理屋さんが来てくれて、大手術の末に俺の冷蔵庫を復活させてくれたのだ。
早速ビールを買いに行っているところを修理屋さんに見つかって笑われた。

過去の自分の日記を見てみると、なんと10月28日に冷蔵庫壊してるから、
実に3ヶ月半も冷蔵庫無しの生活を送っていたことになる。
3ヶ月半以上ぶりでの自宅でのビール。
それ以前に自宅で冷たい水が飲めたことにじーんときた。

モザンビーク ~暮らし~ | 23:18:30 | Trackback(0) | Comments(8)
最近の酒、夢、言葉。
うちの学校には、外国人教員は俺のほかにアメリカ人が2人、キューバ人が1人いる。

キューバ人のセルジオが年末年始実家のキューバに帰っていて、
お土産に地元のラム酒(西語でRon=ロンと言う)を持ってきていた。
アルコール度数43。コーラで割る。

教頭先生たちと一緒に飲んだのだけれど、
そんなに飲んでないのにどっぷり酔っ払ってしまった。
やはり強い酒だし、何も食べずに飲んでいたせいもあるか。

なぜか、学校の廊下の蛍光灯を見上げながらジョギングでうちに帰った。
記憶は薄ぼんやりともやがかかったようで。
しかしもどした時にラムが喉を焼いた痛みだけひりひりと翌朝も残っていた。

こっちに来てから学生時代みたいに酔うこと無くなったなあなんて思ってたけど、
ビールしか飲んでなかったからなんだな。

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夢を見た。
大学時代の仲間が次々に出てきて、少しずつ集合していく。
それこそ一緒に朝まで飲んで吐いて倒れた数々の飲み会を共にした仲間たち。
こんな遠くの俺の夢に、わざわざみんなありがとう。
ベネズエラが懐かしい。

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言葉の伸び悩み。
年末年始の休みが長かったし、最近語学力がずっと停滞気味の印象。
振り返れば、2007年9月にモザンビークに着いてから、
半年後と1年後に語学力が伸びたような感覚があった。
その周期でいくとまた3月くらいにググッといって欲しいものなので、
そのために単語でも覚えながら種まきをしておきましょう。
たねまき♪

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マラリア予防のためにベッドには蚊帳(かや)が吊ってある。
朝起きたときに、蚊帳の中に蚊がいるときがある。
そういう時は大抵、吸われとる。
そりゃそうか。

モザンビーク ~暮らし~ | 06:22:11 | Trackback(0) | Comments(0)
交通事故!
年末、交通事故にあいました。
とりあえず僕は無事です。

それは偶然の重なりだったのだけれど、今思えば焦りからとった普段と違う行動が裏目に出たような気がしてなりません。

顛末はこう。

その日、用事で急いで任地へ帰ろうと焦っていて、なぜかいつもとは違う路線のミニバスに乗り、
これまたいつもとは違うターミナルから任地行きの中距離ミニバスに乗りました。

そのバスが出発から20分ほど走った国道のとあるカーブを曲がり、
直線に差し掛かったところで異変は起こりました。

ガタン!

と、ミニバスが何かを踏んだような衝撃。
左後輪がバーストした音でした。
僕が座っていたのは左の最後部座席。
ほぼ真下のタイヤです。

バタバタバタバタ・・・・と裂けたタイヤの回転が車体に振動を与え、
だんだんと制御不能になった車体は左右に大きく振れ始めました。

右に左にゆっくり大きなカーブで蛇行しながらも、
その蛇行幅はどんどん大きくなり、
はるか前方には対向車が見えていました。

どうにか対向車が来る前に無事止まってくれと、おそらく
乗員乗客全員が同じことを願っていたでしょう。

その願いは半分叶い、半分叶いませんでした。
対向車が来る前には止まりましたが、無事には止まりませんでした。

振れ幅が道幅を超え、右の路肩に突っ込み、
運転席側から柔道の受身を取るような感じで横転し、
さかさまになって止まりました。
事故1

バーストした瞬間は結構スピードが出ていたので、
絶対1回転半か2回転半して止まったに違いないと思ったのですが、
冷静になるにつれ、そして車の状態を見て、おそらくしたのは半回転のみ。

僕が乗っていたのは左の最後列。
上の写真で見ると右の手前、窓のすぐそばだったため、誰よりも早く窓から脱出しました。
ガラスはもう割れて無くなっていたように思います。

脱出してからはできるだけ混乱を避けるように人々から離れたのですが、
さすがに中の人をほったらかしにはできないと思い、
窓から出ようとしている子供を引っ張り出したりしました。

中には腕をひどくすりむいていたり、頭を打って血を流している人もいましたが、
死人や重傷の人はいなかったように思います。
でもそのときに手や足に子供の血が付いたりしたのを見て、
一応自分もどこに怪我してるか分からないので用心して、
薄情ながらもそれから救出活動からはまた距離を置きました。

すぐにJICAの事務所の人に連絡を取り事故の報告をすると、
マプトからそんなに離れていなかったこともあり、迎えに来てくれました。

事故2

迎えの車を待っているうちに人々は倒れた車を起こし、やってきた別のミニバスに乗って
また目的地へと去っていきました。

運転席部分が派手にへこんでいますが、運転手も大して怪我はしていなかったようです。

事故当時の心境は、まず「意外」でした。
事故は誰にでも起こるものだけど、その「誰にでも」に自分を入れてなかったことと、
こんな風にたまたま乗り合わせた同じ境遇にいる乗客たちが、
あっけなく同時に命を失ってしまうかもしれないという怖さ。
それがこんなにあっけないことなのかという意外さ。

しかし横転するまでの少しの間、驚いて実際に対応するのは運転手だけ。
ただ祈りながら待つのみの僕は意外と冷静でした。

逆さまで止まると足元から水がパシャッとかかってきて(なにかの荷物から漏れた?)、
それが何か分からないこともあって急いで外に脱出しました。

沸いてきた感情は、無事だったことへの安堵と、事故への腹立たしさ。
何やってんだよ!
という運転手やモザンビーク交通事情への腹立たしさ。

どこかで背中をぶつけ、Tシャツが破れて引っかき傷ができた程度で済んだ僕に、
事故直後の恐怖心はありませんでした。
ただ、今思い返してみると、事故直後の自分よりもひどい怪我をした人たちから、
距離をとって目をそらしていたことも事実でした。

怪我をしている人も頭から血を流していた子供もちらっと見ただけだし、
自分の隣にいた女性が抱っこしていた赤ちゃんがどうなったかも見ていません。
衝撃的事実に気持ちが飲み込まれないよう、直視することを避けたのかもしれません。

事故3

バーストした後輪と、その上の、自分が脱出した窓。

ミニバスは発車直後にタイヤ屋のようなところに寄り、
定かではないけれどタイヤに空気を入れるような作業をしていました。
そうだとしたらそれもバーストの大きな原因になったのかもしれません。

長距離ミニバスに乗る前にはタイヤや車体の状態、
運転手が飲酒していないかなどをチェックするよう言われていますが、
事故の可能性は減らせてもそれだけで事故を避けるのは困難です。

僕自身、ミニバスに乗車中に目の前で他の車がバーストするのを見たことがあります。
しかも2回。

完全に避けるにはミニバスを利用しないという以外ありませんが、
そうなるとどこにも行けなくなってしまいます。

しかしこの事故の後JICA事務所は、
年末年始のハイエースサイズのミニバス利用を極力しないよう勧告しました。
まさにどこにも行くなというのと同じですが、ほかに交通手段が無い地域があることも
紛れも無い事実です。

事故はどんな状況を裏切ってでも起こるものですが、
やはりできるのは可能性を減らすための努力と、
事故が起こらないように祈ることのみです。

そして今回の教訓としては、焦って普段と違う行動をすることは
往々にして普段よりも悪い結果を起こすということです。
何事も余裕を持って。

何をしても遅れる国だからこそ、何かあったときにもう一アクション取る余裕を残して、
計画と気持ちに余裕をもって行動することを心がけたいです。

そして無事に日本へ。

モザンビーク ~暮らし~ | 08:07:55 | Trackback(0) | Comments(8)
賀正
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。

モザンビークでの2回目の正月は、海辺のリゾートで迎えました。
正月が真夏の海というのは初体験。
元旦から海水浴というのも初体験。
Barraビーチ  ロッジ
イニャンバーネ州バーラ・ビーチ   ロッジ
Beach Baseball  海の幸カレー
ビーチで野球            自炊。海の幸カレー
浮き輪

全体的に曇天で雨も多かったけど、ところどころ晴れて正月から海水浴できたし、
楽しく過ごせました。

今年は帰国する年です。
失敗を恐れず、いろんな人と協力することを心がけて、
活動を実りあるものにしたいと思います。

残り9ヶ月弱。

モザンビーク ~暮らし~ | 00:56:18 | Trackback(0) | Comments(2)
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