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りゅう

Author:りゅう
愛媛県出身。
青年海外協力隊19年度2次隊
モザンビーク共和国マプト州の片田舎
美術隊員として派遣。
派遣期間2007年9月~2009年9月

そんなりゅうのJOCVの一部始終を、断片的にお伝えします。

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現在フリーターの私
最近はバイトの日々です。

棚卸の請け負い会社のバイトなので、棚卸をするべく県内のいろんなところに赴いて仕事をします。
たなおろしって行っても棚から箱を下ろしたりとかする体力仕事ではないですよ。
商品の在庫数を数えて報告する仕事です。

専用の機械でバーコードを読み取って数量を入力するという作業なのですが、
単純なようで奥が深い。

缶や箱のような形のはっきりしたものや、袋に入った液体の商品などの数えにくいもの、シンプルなものや、衣類、化粧品などの色やサイズや種類にバリエーションがたくさんあるもの、数えててイライラ~ってなるものもたくさん。

こないだは衣料品店で化学繊維の服を数えていて、バチバチ静電気にかなり怯えました。

やっててよく思うのは、「こんなものまで売ってるんやー」っていう商品の種類の多さ。
日本の豊かさを実感します。
先日行った、某大手衣料品店は在庫が10万着くらいあるらしいのですが、想像つかないしそれを一晩で数えるのかというしんどさもあります。

3ヶ月限定の短期バイトですが、辞める時には惜しまれるとまでは言わないまでも、しばらくは覚えていてもらえるくらいの存在にはなれるよう、
日々、一生懸命頑張っています。

夜中から朝方にかけてやる仕事が多いので、昼夜逆転気味。
いつでも眠いような眠くないような。

ゆうべは楽しみにしていたポニョ見ながら途中で寝てしまいました。
しかし俺はとある方法でポニョの動画データを入手して持っているので、
それで最後まで見ようとデータを開くと、タイトルはポニョなのに同時期に入手したフラガールが入ってました。
ということは、と思ってフラガールのデータを開くとそれもフラガールでした。
しゅん。

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帰国後のこと | 07:54:06 | Trackback(0) | Comments(0)
留守家族懇談会に行ってきたよ
留守家族懇談会?

先日、1月10日(日)に県内某所で行われました。
それは、現在派遣されている人の家族のために行われ、JICAの支援体制や隊員の活動を知ってもらうと同時に、安心して帰国を待っていてもらおうという、JICAの家族ケアみたいなものかなと思います。

数日前に帰国したばかりだという隊員の方もいましたが、僕も比較的最近帰ってきた隊員OBなので、現地での活動報告をさせてもらいました。

モザンビークにいる頃からですが、たくさんの人前であいさつや話す機会があるときは、実家の家業の宣伝をするというのが最近の僕の恒例になっています。
思い切って露骨に宣伝すると意外と場がなごむのですよ。

今回もしっかり、活動報告の冒頭で実家の宣伝をさせてもらいました。
すると最後の質問コーナーでは、僕が後を継がないので、じゃあ家業はどうなるのかと、そんな心配までしてもらいました。
ありがたいお話です。

留守家族懇談会は、僕がモザンビークに行っている間に母も出席していたそうで、良かったとかなんとか行っていたような記憶があります。
なので、恩返しじゃないですけど、今現在、日本で帰りを待っている隊員のご家族の不安を少しでも取り除けるようにという思いもあり、参加して帰国報告をさせてもらいました。

やっぱり、待っている側は向こうの様子がわからないから、想像以上に心配してるんだなあと感じました。

ちなみに、改めて僕がいたモザンビークの位置を下の地図でお見せします。
今年サッカーのワールドカップが開催される南アフリカの右上に位置しています。
モザンビークは残念ながら本選出場ならず。

モザンビーク 地図


帰国後のこと | 21:11:32 | Trackback(0) | Comments(0)
OVデーに行ってきたよ
ずいぶん前の話ですが、昨年の11月13、14日と、OVデーと言われるプログラムに参加してきました。

派遣前訓練中の青年海外協力隊員(JOCV)に、帰国したばかりの隊員が会いに行ってお話するのです。

嬉しいのは、同期に会えて同窓会みたいな気分になるのと、二本松訓練所に行けるということです。


訓練所に到着する道すがらですでにたくさんの同期と再会。
案外みんな変わってないもんです。

濃い濃いほんとに特濃の2ヶ月間を過ごした思い出の訓練所ですが、うきうきな気分ばかりではありませんでした。
青春そのものだったような2ヶ月間ですから、帰国したばかりで世捨て人のような気の抜けた今、あのパワースポットにのまれてしまわないだろうか、と言えば伝わるでしょうか。
訓練生たちはがっついているんだろうなあ、とか、その訓練生を通じて昔の自分を思い出すのは気恥かしいなあ、とか。

そんな感じで到着して最初にしたのは検温。
この時点で発熱が確認されればここで脱落。
大事をとって帰らなければなりません。
マスクも配布されました。

訓練中は外部からの訓練所への立ち入りが禁止されていたそうです。
禁止しなくても行こうと思うような場所にはありませんが。

さて、それから語学の先生との久しぶりのご対面。
語学力チェックみたいなのをされます。
と言ってもほぼ雑談しただけですが、訓練の参考にするそうです。

そして、全訓練生の前で自己紹介をし、のちモザンビーク隊員とご対面。
任国事情を2時間ほど話すのですが、全然話し足りませんでした。

4人いた訓練生は年明け7日にモザンビークに旅立って行きましたが、みんな素晴らしく前向きで明るくてまじめな人たちばかりでした。
毎日ポル語の勉強ばかりしているそうでした。
その時はモチベーション下げるから言っちゃだめだろうなあと思って言わなかったけど、僕は普段は体育館にばっかり行っていて、勉強も宿題もあんまりしていませんでした。
なのでほんと今回の隊次の4人には脱帽です。

おもしろかったのが、とあるモンゴル隊員との再会。
その隊員は数年前たまたま知り合ってからいろんな縁で、2年半前、俺が協力隊に行く前の大阪での壮行会にも来てくれていたのです。
それが今度はOVデーで再会して俺が行ってらっしゃいを言う立場になっているという。
しかも僕の前任者と同じ大学の後輩です。

ともあれ、熱い熱い訓練生のパワーに圧倒されながらも、その一部は吸収して元気をもらって帰れた、そんな1泊2日のOVデーでした。
JICAからお金ももらえました。

帰国後のこと | 20:17:18 | Trackback(0) | Comments(0)
帰国後の進路の一例
協力隊参加を悩んでいる人の主な不安要素とは。

語学習得
病気
現地の治安
帰国後の進路

この4つに尽きると言っても過言ではないでしょう。
今回は4つ目の、帰国後の進路について、僕の場合を記したいと思います。

正直ラッキーでした。
春から私立の中等教育学校で働くことが決まりました。
臨時ではありません。
帰国後、1ヶ月も経っていない頃のことです。

確か帰国の2,3か月前、まだモザンビークにいるころに、
高校の恩師から実家に連絡があり、教師の空きがあるという話をいただきました。
学校側は僕が帰国するまで待ってくれていて、帰国後面接に行き、
間もなく内定の通知が届いたのです。


しかし春までは無職です。
国内積立金もすごいスピードで減ってきています。
バイト探し中です。

もともとは、公立高校の教員志望でしたから、来年の教員採用試験を受けるつもりでした。
そしてそれまではハローワークに通い、一般企業への就職活動もするつもりでした。
そしてもし良い就職先が見つかれば、教師でなくともいいという気持ちでいました。
今はそのハローワークで春までの食いぶちを探しています。

ちなみに、帰国後の研修を受ければわかると思いますが、
JICAにも就職支援のシステムはあります。
特に、協力隊経験を活かした就職活動のしかたなどを教えてくれます。
職種によっては協力隊活動をプラスに考えてくれる仕事もありますが、
そうでない類の職種では全く評価されません。
なので、協力隊経験を良しとしている企業のみの募集サイトがあったりとか。

現職参加の人には関係無い悩みですが、そうでないほとんどの人には切実なこの問題。
しかし、協力隊に行くと決めた時点で新しい道を選んだのだから、
帰国した時にもう一度新しい道を選べるのだと、
可能性は無限大だという風に考えてがんばりたいものです。

帰国後のこと | 00:47:17 | Trackback(0) | Comments(4)
日本に帰って気づいた、2年前と変わったこと
docomoの看板デザインが変わった。
  えらいもんで前のが思い出せないけど、弱くなった気がする。

品川庄司の品川と、えなりかずきにふさふさと髪が生えている。
  最初誰かと思った。

どこに行ってもマスクを売っていたり配っていたりする。
  悪いことじゃないんだけど風潮がちょっとバカみたい。

どこに行ってもアルコール消毒が置いてある。
  これ大好きなのですごく嬉しい

活躍中の若手芸人が全然わからない。
  しかしかなり勉強してわかってきました!
  はんにゃ、我が家、ロッチ、ジャルジャル、鳥居みゆき
  2年の間に咲いて消えた人はちょっとわかりません。
  えどはるみとか。ふとっちょカウボーイとか。

携帯のネット検索機能が大幅アップ!
  やっと実用的になってきた気がする。

愛媛の山奥の実家への帰り道がでっかくきれいになっていた。


そんなもんです。
他はあまり変わっていませんでした。
日本は日本でした。
浦島太郎気分あまり味わえず。

帰国後のこと | 22:26:07 | Trackback(0) | Comments(0)
帰国時の荷物発送(アナカン)のこと
帰国時に荷物を送りたい人向けの記事です。
参考になりますように。

9月下旬、帰国数日前

飛行機持ち込み荷物だけではいろんなものが持ち帰れないので、
モザンビークから日本に荷物を発送します。
その時によくモザンビーク隊員が利用するのがアナカン(Unaccompanied Luggege 航空別荘手荷物)

アナカンとは、
・海外から、または海外へ荷物を送る一つの方法
・大量に荷物を安く送れる
・けどちょっぴりめんどくさい
という風に僕は認識しています。

帰国の1週間くらい前にあらかじめモザンビークの集荷所へ荷物を持って行き、
2時間くらいのめんどくさい手続きをしました。
モザン業者に少しでもないがしろにされないために、全員スーツ姿で行きました
(効果のほどはわかりません)

そして少しでも荷物や自分たちに敬意を払わせるために、
一人の隊員を上司役にして、他全員で取り巻きの部下のような演技をしました(これはお遊び)。
するとえらいもんで、演技にだまされた業者の人は、
「ここ少し手続きに時間かかるから、疲れないように上司に座っててもらってください」
と気を使ってくれたりしたので一同笑いをこらえるのに必死。

荷物は大量に送ったほうが安いので、5人全員のを一気に持って行きました。
段ボール大小ありましたが、16箱だったと思います。
すべての荷物を一人の隊員(上司役)の名義で送りました
理由はあとで出てきます。

手続きにはずっと集荷業者の兄ちゃんが付き添って、というか、
必要事項の記入以外はすべてその兄ちゃんがやってくれました。
あちこち行ったり来たりで本当に手続きはややこしいので、早めに味方につけておく必要アリアリ。
そして最後にチップ100MTnあげたら不満そうで、結局200MTnくらいあげたんだっけ?

警察学校に勤めていた同期が警察官と仲良くなって、荷物チェックを甘くしてくれました。

この日僕たち19年度2次隊は、モザンビークでの2年間の活動で培った経験から、
きちんとした格好、警察への取り入り、いい加減な対応への警戒、語学、そして同期のチームワークをフル動員して、複雑な手続きを予想よりはるかに早い時間で終わらせることができました。

僕はそこそこの大きさの段ボール箱を3つ(各15~20Kg程度)送ったのですが、
2000MTn程度(8000円程度)で済んだと記憶しています。

国際郵便など普通の小包の発送方法でやると、おそらくこの2倍かそれ以上かかったはず。

帰国時の受取は・・・

続きを読む >>
帰国後のこと | 02:31:21 | Trackback(0) | Comments(0)
隊員活動の終わり
9月24日(木)

チケットに、空港ラウンジへの入場券も付いていたので、
ここぞとばかりに突入して待ち時間を豪華に過ごす。
ワンタンスープ、チャーハン、いろんな菓子パン、エスプレッソマシン、
そしてハイネケンの生ビールサーバー。
全部タダ。

そして香港から成田へはANAの飛行機なので、やっと日本語が使える。
キャビンアテンダントの接客が丁寧!
南アフリカ航空のと違って、食事の配ぜん中に飲み物をお願いしても、
怒られたり無視されたり拒否されたりしない!
さらには笑顔の接客!

いいことがあったわけでもないのになんであの人笑ってるの?

とか同期と話しながら帰国。

15時、無事、2年と1日ぶりに日本の土を踏みました。
モザンビークを発つ時もそうだったけれど、やっぱり何の感動もない、実にあっさりしたものでした。

空港を出て、みんなで航空別送荷物(通称:アナカン)の引き取りのために成田空港近くの貨物地区へ。
全部終わるまでトータルで1時間半くらいはかかったっけ?
全員でまとめてモザンビークから送っていた荷物の引き取り手続きをして、
日本の佐川急便にお願いして各自の実家へ配送手続き。

税関で、本来なら中身の確認などするはずだったのですが、
オフィシャルパスポートということで免除していただいた上に、
お勤めご苦労様でしたと2年間を労ってくれました。

オフィシャルパスの恩恵を受けたのは、2年間を振り返ってもたったの2度目です。
途上国でも日本の空港でも全然特別扱いしてもらえませんでした。
1度目は、帰りの香港で荷物検査をする時、一般旅券の長蛇の列をすっとばして、
オフィシャルパス専用ゲートを悠々と通過。
これは気持ちよかった。

ホテルにチェックインして、同期モザン隊で再集合して、
お疲れさまと、日本での最初の食事に選んだのは焼き肉「牛角」

なんだか店員さんが絡みづらくてかみ合わなかったのだけれど、
それはむしろモザン帰りの俺らのほうが絡みづらいせいなのだろうと、
謙虚に考えるようにしました。

翌日から土日をはさんで3日間、帰国手続き、帰国報告、健康診断、就職関係のオリエンテーション、再会の嵐、夜は毎日のように飲み会の嵐。
日本の生ビールがうまいうまいうまい。

土曜日にはりょうが遠くからわざわざ会いに来てくれていて、
2年ぶりなのにまるで1ヶ月くらいしか離れてなかったみたいな感じで、
「久しぶりー」とか言って再会して、一緒にうどん食べたり、街を歩いたり、
森美術館でアイ・ウェイウェイ展見てアートに触れたり。
あげもちのryokkyと3人で築地で海鮮丼食べたり。


帰国研修の最終日、10人くらいでお昼ご飯を食べながら、
「これで19年度2次隊としての活動は全部終わったねー」
と、結構大きな区切りだったことに気がついたり。
まだすべての同期が帰国したわけではないけれど、
現在進行形だった同期がだんだん過去形になっていく。
隊員が隊員OBになっていく。

そしてここからが本当の始まりなのです。
2年間を意味あるものにするのも、棒に振るのも、
これからの自分が確定していくものなのです。
いろんな人、もの、場所との出会いを必然にしていくのは、
それらに出会った自分自身しかいないのです。

はい。

帰国後のこと | 00:43:54 | Trackback(0) | Comments(2)
少し遠かったけど悪くなかった帰国までの道のり
モザンビークでのことが終わってからダラダラとこのブログを続けるつもりはないのだけれど、
書いておかなければならないということはやっぱりある。

あっさりと飛び立ったモザンから南アへの飛行機が暗示していたのは、
その後のちょっぴり複雑な帰路だったのかもしれない。

まず、南アフリカから香港への飛行機の出発が1時間半ほど遅れた。
これはよくある話だと思う。
しかしその飛行機の離陸後、1時間ほどしてから、男性の悲鳴が響き渡った。
しかもすぐ近くの後方にあるトイレのほうで。
悲鳴は1回ではなく、1分とかそれ以上続いた。
わめいていた。
わめき続けていた。

「お客様の中にお医者様はいませんか!?」
が現実に。
そしているもんだ、お客様の中に医者が!

近くの中国人が、あれは精神病の患者だと知った風な口をきいた。
俺は眠かった。

気づいたら飛行機が引き返している。
もうしばらくは踏むことが無いと思っていたアフリカの大地に向かって、
飛行機が引き返している。
一同あ然。
しかも空港付近は雷雨。
飛行機の尾翼についているモニターから、機体と南アの街と稲光が確認できた。

尾翼もにたー
稲光で機体が
稲光で空が!


出発からずっと泣き喚いてうるさい中国人の小さな子供が泣き止まない。
子供のことだからしようがないと割り切っていたのだけれど、なんとお母さんがキレてその子に怒鳴っちゃった。
これには近くのみんな軽くひいて苦笑い。

”アフリカの水を飲んだものは必ずアフリカに帰ってくる”
という有名なフレーズがあるのだけれど、3時間で再びアフリカの地へ着陸。

医療スタッフが待ち構えていて、例の男性を病院に連れて行くのかと思いきや。
なんと警察が入ってきてその男性を後ろ手に縛って連行していった。
頭上の棚の荷物の辺りも捜索していた。
はてな?

うわさでは、その男性は麻薬中毒者だったとか。
迷惑な話だ。

そして飛行機は燃料やら食料やら備品やらを補給して、
トータルで出発は6時間半遅れたことになった。
20時過ぎに到着予定だった日本には、絶対その日には着けない。

13時間のケツの痛くなるフライト後、香港に着いたら香港人のスタッフが対応してくれた。
彼が言うには、翌朝の便で日本へはちゃんと帰れます。
ホテルもあります。
とのこと。

南ア航空が麻薬を持ち込ませてしまったのが悪いのだから、むろん便変更にもホテルにも俺たちは料金を支払う必要が無い。
つまり全部ただ。

その用意されたホテルの部屋がすごかった。
ベスト・ホテル・イン・ザ・ワールド2008に選ばれている、
Regal Airport Hotel。
部屋きれい!
テレビ薄い!
ベッド、トリプルっていうの?
すごい。
ここに一人で。

すげえホテル
すげいホテルウ

「こういうところには恋人と来たかったなー。なんで一緒にいるのがお前らなんだ」
と同期をお互いをののしりあった後は、仲良くみんなで晩ごはんへ。
もちろんディナー券もついていたのだけれど、ちょっぴり迷った挙句、一番お得感のあるビュッフェ形式のレストランへ。

そこのメニューときたら。
中華料理ひととおり、刺身、寿司、貝、海老、しゃこ、ふかひれスープ、肉もたくさん、チョコレートが噴水みたいに吹き出てるやつ、ハーゲンダッツアイスクリーム、おしゃれなスイーツたち、etc.
んーもう大興奮。
一応寿司は日本まで(築地まで)おあずけ。
豪華ごはん
おされスウィーツ

香港万歳。
南ア航空万歳。
機内のおかしな人万歳。
まるで廃止された帰路変更制度が戻ってきたようだわ。

帰国後のこと | 03:38:59 | Trackback(0) | Comments(2)
出発の日の朝
モザンビークの首都マプトの空港を、予定通りの11:40に出発。
タラップを上るとき、自分の足がモザンビークの大地から離れることを意識した。

飛び立つまで空港のテラスで待っていてくれたみなさん、本当にありがとう。
ちゃんと見えてましたよ。

ひときわ目立ったのは、任期を延長して同期ではただ一人残ることになったひでうおの、ピンクのシャツ。
出発の日の朝、俺らのために慣れないギターを弾きながら歌を一曲贈ってくれた。
モザンで一番うるっと来たのはそのはなむけの歌の最中だった。

対照的に飛行機はいやにあっさりと離陸した。
俺の中には何の波風も立たず、感動も、感慨深さも、喜びも悲しみも無く、
本当にあっさりと飛び立った。
ただ未来へと夢をのせて。

これで当分、もしかしたら一生、この土地を踏むことはない。
ただ、気持ちとしてはもちろん、また訪れたい。

帰国までが活動です。
このまますんなりとは終わらなかった、南アフリカ航空でのトラブルについては、
また次回。

帰国後のこと | 02:07:00 | Trackback(0) | Comments(2)

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