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りゅう

Author:りゅう
愛媛県出身。
青年海外協力隊19年度2次隊
モザンビーク共和国マプト州の片田舎
美術隊員として派遣。
派遣期間2007年9月~2009年9月

そんなりゅうのJOCVの一部始終を、断片的にお伝えします。

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赴任日決定!
配属先へ赴任する日がやっと知らされました。

11月6日(火)

あと一週間。
突然すぎます。
もっと早く決めて欲しかった。
そしていきなりつめこまれる公式行事。
これまで全然決まってなかった(と思っていた)分、焦ります。

しかし学校はもう年度末試験に入り、12月に入るとすぐ卒業式、夏休みへと続きます。
それまでに学校の雰囲気や授業の様子を少しでも把握できたらと思います。

雨は降ってもすぐにやみ、そんな日は長袖じゃないと肌寒い。
晴れの日は歩いているだけでもジワジワと汗をかくようになってきた。
そんな初夏のマプトの日々も、もうすぐ終わりを迎えます。

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モザンビーク ~隊員活動~ | 08:06:12 | Trackback(0) | Comments(0)
住んで都になる予定の家
配属先学校内にある教員住宅です。
見に行ったときの日記はこちら→初めて任地へ行ってきた

外から見た感じ。平屋。結構きれいです。
1fora da casa2 2fora da casa3 3fora da casa
日本の援助で立てられて10年くらいの建物だったかな。
1.マンゴーが鈴なりで、旬にはマンゴー祭があるのだとか。

家の中の様子です。
4Dining 5quarto 6cozinha 7escola
4.ダイニングは入ってすぐ。立派な机と椅子と冷蔵庫があります。
5.寝室。なぜか真ん中に事務机が。なんと同じ部屋がもう一部屋あります。
6.キッチン。コンロ無し。水は時間制限で出ます。
7.校舎内回廊。土地はいくらでもあるからか平屋で広々と建ててます。

教員が家族で住むためのものらしく、ダイニング、キッチン、寝室2つ、トイレ・シャワーと、大変広々としています。

ご近所さん
8ドーナツ 9ドーナツ作り 10crianças

8.ドーナツ
9.作ってるとこ
10.管理人さん一家。おませな子供たち。
  一番ちっちゃい子にデジカメによだれを垂らされた。

とりあえずこんな感じ。

モザンビーク ~暮らし~ | 07:58:53 | Trackback(0) | Comments(0)
シパマニーネの古着市場
10月27日(土)
シパマニーネに行ってきました。
シパマニーネとは、すーんごいたくさん古着やら雑貨やら食品やらを売っているところで、手に入らないものは無いくらい物が溢れてるところみたい。

服、カバン、カーテン、シーツ、靴、生活雑貨、薬、食品、肉なんかのほかに、牛の頭とかも売ってるんだって。語学学校の先生の話では、人も売られてるんだとか。

そこへ行くには最新の注意が必要で、携帯も財布も時計も持っていかず、
女性はお金を下着の中に入れます。

俺の目当ては
運動靴、鞄、シャツ、ジーパンなどなど。

頑張って探して交渉して値切ります。
大体100MTn(450円)を境に高い安いを判断します。
1MTn=4.5円換算
戦利品は、
★ジーンズ 100MTn
 すそ直しが10MTn
 はいてみて気付いたのは、ポケットがすんごい浅いので女性物ではないかということ。
 しかし気に入りました。
★カバン 120MTn
 150を値切ってこの値段止まり。かなり手ごわかった。
★半そでTシャツ15MTn、長そでTシャツ5MTn、半そでシャツ5MTn。
 この辺は安くて安くて惜しみなく買えました。

靴は見つからなかったけど、売っている人はみんなフレンドリーだったし、スリに遭うこともなく無事に衣料調達を終えることができました。
帰ってからは着る前に必ず洗濯をします。
ダニやら何やらがいるといけないので。
その昔買った靴をそのままはいた隊員が、ダニにやられて高熱を出したことがあったそうです。

先日大使館の医務の方とインド料理を食べに行きました。
以前インドにいたというその方は、モザンビークの物価の高さに驚いていました。
そんな物価の高いモザンビークでも、しっかり探せばちゃんと着られる服が安く現地調達できるということが分かりました。

モザンビーク ~暮らし~ | 05:30:58 | Trackback(0) | Comments(0)
10月25日(木)一ヶ月経過
今日でモザンビークの地に降り立ってからちょうど1ヶ月が経った。
初めてマプトの空港に降り立ったとき、タラップ下でY子が職員にお願いした記念撮影は、シャッターが押せてなくて全くもって写ってなかった。

その時は考えてもみんかったけど、もしかしたらその職員は、
デジカメを触ったことがなかったのかもしれない。
そんな、期待を裏切らないスタートを切ったモザンビークでの2年間。

ポルトガル語は確実に上達したけれどそれは当たり前と言えるレベルを出ず。
しかし買い物をしたりその辺の兄ちゃんと友達になったりするくらいはできるようになったよ。
先日インド人の経営する店に行った時も、JOCVでインドに行っていた父に教わったヒンディー文字で自分の名前を見せると、ちゃんと読んでもらえてそこから会話が始まった。
ポル語と英語が混じった変な言葉でも、マルチリンガルになった気がして嬉しかった。

そうやって調子に乗っていると、たまに失敗もある。
今日、近所のアラビア系の職員が働くスーパーで白人が英語が通じずに困っていた。
ほほう、この人たちポル語しか喋れないんだ。
そう思った俺は、ポル語で「少し英語わかるんだけど話してみようか?」
などと調子に乗ったことを言ってしまったのが恥のかき始め。

What do you want?

英語に反応した白人の彼は、助かったとばかりにベラベラベラーっと話し出す。
その次に俺が発した英語と言えば「スローリースローリースローリー!!!」
聞けばシャンプーか何かの自分が欲しいタイプが見つからないらしいんやけど、
それもジェスチャーで判断しただけで言葉は聞き取れず。
困った俺はなんと、「自分で探せるね?」とたどたどしい英語で伝えた後、実はもっとたどたどしかったポルトガル語で、「彼、自分で探せるって」と店員に伝えて帰ってきた。

白人の彼にとっては何の助けにもならず、アラビア系職員の目には変なチャイニーズにしか映らなかったであろう曇り空の夕方。

ここでは自分が外国人だから多少の奇行は許されるものの(?)
久々にかなり恥ずかしい思いをして書かずにはいられなかった。
ええかっこはあまりしないこと。

モザンビーク ~暮らし~ | 08:34:58 | Trackback(0) | Comments(3)
初めて任地へ行ってきた
10月20日(土)の話。

初めて任地シブトゥトゥイーネへ行ってきた。
一人で。

ムゼウのターミナルでバスを洗っている兄ちゃんに行き方を尋ねると、近くの変なおっさんが、
「俺が一緒に行って乗り換え教えてやるよ、そのかわり何か飲み物代とか欲しいなーなんつって。」
と言いながら近づいてきた。

うんーーーどうせお金欲しいだけで、特に乗りつぎに詳しいわけでもないんだろうなあとか思いながらも一緒に行くことにした。
普通は相手にしちゃだめです。
でも乗換え結構不安やったし、例え過度なお金をせびってきても勝てそうなおっさんやったから。

するとオッサンの名前はなんとフラービオ!
看板を描いたりするお仕事をしてるらしい。
JUNTAで降りてから乗り継ぎのシャパまで連れて行ってくれた。これに乗るといいよって。
本当はBENFICAで乗り換えた方がスムーズらしいので、やっぱいまいちなおっさんやった。

それから少し雑談をしたあと、フラービオという名前にも敬意を評して気持ち多めの小銭を握らせた。すると良い金づるを見つけたと思われたのか電話番号を聞いてきたので、冗談じゃないと思いながら、電話は持っていませんという、人を傷つけないウソをついた。

シャパの中で隣に座ったエリアスおじさんは超いい人で、途中の街の紹介や、果物の木の名前を教えてくれたりした。

学校の前に着いたらそこはバラッカ(売店みたいなもの)一つあるだけで周りにはなんにもなくって、広い広い学校がドーンとあるだけだった。
シャパで5~10分くらい行ったら、MANIÇAという小さなシダージ(街)がある。

とりあえず中に入って生徒をつかまえて、校長秘書のミラーグレを待ちながら生徒としばらく話した。
ポルトガル語より英語の方がうまいねと言われて多少傷つきながらも、戦争や原爆の話までできたのでなかなか有意義だった。
ただ語学学校でも思ったけど、言葉が話せないことはすごくもどかしく悔しかった。

ちなみに校長秘書のミラーグレとは、先輩隊員を通じて以前に一度マプトで会って話をしている。
そしてこの日案内してくれるものと思っていたミラーグレは、帰りにシャパで一緒にマプトに行くときまで現れなかった。
約束は電話でしていたので、おそらく俺がちゃんと理解できてなかったのだろう。


一緒に話していた生徒は教員宿舎まで案内してくれたけど、俺の部屋の鍵を持っている人が居ないので庭で待つことにした。
庭では先生たちの奥さんがドーナツを作っていてそれを手伝ったり、ガキんちょと遊んだりした。
ここのガキンチョもカメラの前ではいっちょ前にクールなポーズを決める。

ようやく入れた部屋は家族向けで思ったよりずっと広く、俺としては大満足。
帰ってから先輩に家の写真を見せても、良すぎてむかつくと言われるくらいの水準の家なので、やったーなのだ。

今週末の27日(土)にまた行く予定なので、写真はその時に改めて載せようと思います。
天気は快晴でした。
この時期は快晴でも乾燥しているせいか比較的涼しく、日差しはきつくても木陰なら快適でした。
交通費は片道45MTn。

モザンビーク ~暮らし~ | 06:51:49 | Trackback(0) | Comments(2)
ナマーシャ~希望の光に会いに~
10月14日(日)、ナマーシャの先輩隊員に連れられて我ら新規隊員6名は、
モザンビークとスワジランドとの国境に面する町、ナマーシャへ行ってきた。

マプトのバイシャ(下町)から初めて長距離シャパに乗る。
Namaacha.chapa.visto Maputo.chapa
↑ナマーシャにて     ↑マプト市内のシャパ
長距離シャパは満員にならないといつまでも出発しないというエコな乗り物。
一度にできるだけたくさんの人を運びます。
毎度のことだけど、ハイエースを5列シートに改造しているので、窮屈で長距離耐えがたし。

Namaacha.fora.chapa 
道はそこそこきれいだけれど、運転が荒くスピード出しまくりで非常にハラハラします。
帰りのシャパで助手席に乗ったピーニャの証言によると、なんと最高140km/h!!
一歩間違えたら・・・なんていう危機管理シミュレーション能力無いんだろうな。
Nmaacha.campo
マプトから1時間半くらい走ります。
やっと、イメージしていたアフリカっぽい風景も見られたけど、野生動物はいません。

ナマーシャへ。
のどかで田舎だけど道端に人はたくさんいて、活気が感じられる。
協力隊員も現在4人目と5人目が入っていて、日本人慣れみたいな空気もなんとなく感じた。
首都とは全然違う良さがあるね。
Namaacha.jacaranda Namaacha.crianças Namaacha.rua
(左)ジャカランダの木。桜のように春に花が咲く。
(中)ガキンチョ。いっちょ前にポーズを取る。
(右)道。赤い。

ナマーシャにはあの「けん玉たもっちゃん」が赴任していたナマーシャ中学校(ナマ中)がある。
Namaacha.escola
彼がナマーシャに残したものは大きく、同様にHPを通じて俺に与えた影響も大きい。
俺が生のモザンビークを知る最初の手段としてHP上につづられた途上国のリアルは、途上国で活動をすることの難しさを生々しく表現していた。
そういうことを思い浮かべて感慨深いものを胸に抱きながら、
学校の中のたもっちゃんの軌跡を見て回った。
Namaacha.dntr.escola
↑イタリアの援助で立てられたという学校。タイルもヨーロピアン。

寄宿している子供たちは、カメラを向けると得意げにポーズを取り、もっと撮れとせがんでくる。
お掃除中でした。
Namaacha.estudantes Namaacha.estudantes2
右の写真の二人、絶対兄弟だ。

そしてたもっちゃんを師と仰ぐ中学生、フラービオとご対面。
フラービオについてもHPでいろいろと知っていたので、これまた会えたことに感動して一緒に写真を撮ってもらった。
Namaacha.Flavio.paz
日本人がするピースサインを真似しているフラービオに合わせて、10年以上写真の前ですることのなかったピースサインをうっかりしてしまった。

フラービオに関しては少し特別な思い入れがある。
発展途上国での活動の難しさが生々しくつづられていたたもっちゃんのホームページで、努力を重ねて上達するフラービオのけん玉は数少ない希望の光に思えたのだ。
なぜなら、隊員の努力を反映してくれる対象が少なく、ともすれば疲弊感ばかりが残るかもしれない活動においてフラービオは、もしかめ日本タイ記録樹立という並外れた偉業を成し遂げたのだから。
(少し個人的想像と思い入れが強すぎるかもしれないけれど。)
Namaacha.Flavio.kendama
そのフラービオに会えることは、俺にとっては敬うべき希望の光に会うのと同じだと言っても、決して過言ではない。
幸いにも(?)留年していたおかげで彼はまだナマ中の最高学年として在学している。
もうすぐ卒業をするはずなのだ。
フラービオのけん玉の技術はすごかったし、全身を使ってけん玉を操る姿にすごく純粋さと真剣さを感じた。
初心に帰らされた気分。

さらにフラービオは日本が超好きで、本人も「チョウスキデス」と言ってた。
日本語も俺のポルトガル語とどっこいどっこいなくらい知っていて、俗語もいろいろ知っているのでその分フラービオの日本語のほうが上かも(笑)

ナマーシャのメルカド(市場)。ここで食材や日用雑貨が買える。
Namaacha.mercado


↓オープンシャパ。車の荷台に乗るタイプのシャパ。
Namaacha.chapa.aberto
後で分かったのだけれど、右手前の白人はアメリカのボランティア団体、ピースコーの人だった。

ナマーシャはガリーニャ(雌鶏)がうまいのでも有名らしい。
実際めっちゃめちゃうまかった。
炭火焼の地鶏はうまみがぎゅっとつまっていて、今まで食べた鶏肉の焼いたやつの中で一番美味しかったように感じた。
Namaacha.Flavio.galinha Namaacha.galinha.2m Namaacha.mosca 
(左)ガリーニャとフラービオ。
(中)ガリーニャと奥に見えるセルベージャ(ビールのこと)「2M(ドイシュ・エミ)」
(右)ジュースの匂いに誘われてハエが50匹くらい集まってきた。
   俺史上最もたくさんのハエにたかられた日。あんま気にしないけど。

帰りのシャパでは超重量級のおばちゃんがたくさん乗ってきた。
超重量級でも関係なく、1列に4人座らされるので、おばちゃんが乗った列は非常に圧迫される。
ヤスコはその犠牲になってしまった。
Namaacha.dentro.chapa
なかなか出発しなかったし、ヤスコは体を横にした状態で1時間。

ナマーシャはスワジランドとの国境付近なので、帰りに検問が2回もあった。

もうすぐフラービオは卒業のはずだけれど、卒業したらどうするんだろうか?
留年するくらいだから進学は難しいんだろうな。
俺だけじゃなく、モザンビークにとっても希望の光になって欲しい。





モザンビーク ~人々~ | 07:45:42 | Trackback(0) | Comments(5)
携帯に付けるのワイヤー
久しぶりに、日本で準備しておく物についての記事。
おそらくどこの任国でも、到着してすぐに現地の携帯電話が支給されます。
しかし携帯電話は闇市で売るといい金になるので、スリや強盗に狙われる対象です。
実際隊員が携帯をひったくられた話はよく聞かされます。

ここで言う「いい金」とは生活の為に盗みを働いてしまう貧困層にとっての「いい金」で、
携帯一つで一家数人が1ヶ月生活できると考えて過言じゃないと思います。
携帯とワイヤー
そんな心配を少しでも減らすためにも、携帯と体は繋いでおきましょう。
画像の受話器コードみたいなやつは中にワイヤーが入ってて切られません。
しかし携帯に繋いでる紐は切られますね。

鍵にでも使うかなと思って買ったものですが、携帯に重宝してます。
ロフトで1000円前後だったかな。
ズボンのポケットに入れて持ち歩く人にお勧め。

準備物 | 05:16:23 | Trackback(0) | Comments(0)
配属先の家とかのこと
昨日、モザンビーク人について、淡い期待を込めて少し好意的な感想を述べました。

今朝、友達2人がモザン人に約束をすっぽかされ、夜、別の友達2人がモザン人の変な酔っ払いにからまれて死に物狂いで逃げ帰ってきました。

こういう側面もありますよ、ということですが。
好意的なことを書いた翌日というタイミングがまたいいですよね。

ε==ε==ε==ε==ε==ε==ε==(ノ・∀・)ツ ほいー

今日、配属先の学校からJICAに届いた申請書を受け取りました。
内容は、俺の済む予定の家についてでした。

「当校でボランティアが宿泊する施設を確認したところ、次に挙げる物がありません。
 1.ガスコンロ。
 2.冷蔵庫。
 3.ベッド。
 その他の生活するためのコンディションは整っていますのでよろしく。」

ガスコンロとか冷蔵庫はまあいいとして、ベッドって生活するためのコンディションじゃないの?
あなたたちベッドで寝てるんでしょ?
じゃあ用意しといてよー。
というか住むところは配属先がちゃんと用意することになってるんだから、
JICAもベッドくらいは用意するように言ってもらいたいです。

という話を先輩にしてたら、粗悪なベッドを用意されたりスプリングが無いベッドだった場合、腰が痛くなったりして大変だという話を聞きました。
やっぱり寝るという行為は充電のためのとても大切な要素なので、無理に用意させて変なベッドになるよりは、自分で良質なベッドを買っていこうと思います。

マプト州の隊員はJICAの車で任地へ引っ越すので、そのタイミングで必要な家財道具を運んでおかないともう車で行けるチャンスが無いそうです。

そういう、赴任したときの具体的なことを想像すると、ちょっとドキドキします。
まだちゃんと言葉も喋れず聞き取れず、何をしたらいいのかもはっきり分からないけど、来月には任地に行って働き始めるという事実が、少しずつ胸を圧迫してきます。

今、日本人に囲まれた楽しいドミ生活をしているだけに、そのギャップを想像すると焦ります。
ただ焦っても焦らなくても、誰にでも必ず語学コミュニケーションで辛い時期はやってきて、悩んで苦しんでやっと慣れてきて楽しくなってきた頃に帰国するというのは間違いなさそうです。

早く喋れるようになりたい。

マプトでの首都研修期間 | 08:41:15 | Trackback(0) | Comments(2)
今、モザンビーク人の人柄について
訓練所で俺たちは、途上国での安全管理について随分と怖い説明を受けてきました。
結果必要以上に怖がってしまうことはあるけれど、
持つべき警戒心としてはあの研修は大げさではないと思います。

そういう先入観どおりの、盗んだり騙そうとしたりする人も確かにいますが、
悪い人というのはごく少数の一部の人だけです。
一部に悪い人がいるというのは日本でもどこでも同じです。
普通の人は普通に生活しているのです。
そしてとても親切で優しい人が多いです、安心してください。

モザンビーク人は陽気な人ばかりでもなく、少し日本人にも似たシャイな部分も持っています。
はにかんだり、照れたり、本音を言わなかったりと、割と難しい国民だそうで。
もちろん、基本はオープンで、語学学校で生徒達は積極的に話しかけてくるし、
街では「ニイハオ」とよく声をかけられます。

「ニイハオ」とか「シネーズ(中国人)」とかはしょっちゅう言われますが、これは2年間続くことらしいので、どういう対応をするのが自分にとって一番いいのか、追い追い考えたいと思います。

積極的だけど落ち着きもあって、友好的だけとはにかみ屋でもある。
時間はあんまり守らない。適当。
モザンビーク人と深く関わることもなく、ここの暮らしが少し楽しくなってきた今の印象としては、こんな感じです。


あることないことモザンビーク | 06:02:59 | Trackback(0) | Comments(2)
シャパのボロさ、物乞いと詐欺
日曜日コスタ・デ・ソルに行ったピンク路線のシャパで。
目的地までの20分少々、見てて全然飽きないくらいスライドドアに異常発生。
シャパはタウンエースとか日本車のリサイクルなんやけどかなりボロイ。
その日もドアと会計担当の兄ちゃんが大奮闘。

もともとちゃんと閉まってなくて隙間から下の道路が見えるくらいなので、かなり力を込めて何度もドアを閉めなおす。走りながら。
んで閉まったはいいがバス停についたら今度は開かなくなったりして。
兄ちゃん窓から外に出てまで開けたりするが、何度目かの時にとうとうドア外れたりもして。
やけど後続のシャパに客を取られたくないのですぐに走り出し、走りながらなおす。
すると直る!それにもビックリ。

俺はもうそれ見て大爆笑なのに、モザン人は慣れっこなのかクスリともしない。
そのうち俺もそうなるのだろうな。

前の日記の訂正と補足で、シートは全部で4列じゃなく5列でした。
4列のタウンエースを改造してのことなので、結構せまいでやんす。
そして20人以上平気で乗せ、運転席と助手席の間に後ろ向きで座らされている人は、乗客全員と目が合ってかわいそうやった。
それも慣れるのかな。


10月8日(月)ゆっけ誕生日だった気が・・・。そうだったらおめでとう。
この日は語学学校の昼休みにアイスを食べに出かけた。
アイスを買っていると物乞いのおじさんが金くれ金くれと近づいてきた。
アイスを食べた後も少し歩いて後ろをついてきた。
これは別に珍しいことではないのだけれど。

語学学校でたまたま近くに居た現地学生にそのエピソードを話して、ホームレスってポル語でなんて言うの?ってしつこく聞いたんやけど少し引かれてたかもしれない。
後半「もう帰る」、みたいなこと言ってたし。
逆の立場で考えてみると、外人がホームレスのことをいきなり聞いてきたら確かに気持ち悪い。
会って謝りたい。

学校の帰り道、バスターミナルの近くでフレンドリーなおじさんに「よう、覚えてるか、空港で」みたいな感じで話しかけられて、おお、覚えてないけどなんだろうこのおじさん?
とか思いながら一生懸命話していると、だんだん話がおかしな方向に進んでいった。
自分は警察で毎日パトロールしてるんだが、ガソリン代足りないからお金ちょうだい(ヽ゚д)クレ
みたいなことを言ってくるの。
これは先輩からも聞いていた、流行りの金くれ詐欺だということに気付いた。
金くれ詐欺とは、ガソリン代少しでいいからちょうだいと、お金をせびる詐欺なのである。
まじめに働け。
英語話せるみたいやったし。

体育キヨポンと植林リーデルと空手ヤスコは地元の剣道居合道協会へ出張。
かなり楽しく充実しているようである。すばらしい。



マプトでの首都研修期間 | 05:40:45 | Trackback(0) | Comments(0)
「モザンビークの青い空」。そして週末のビーチとシャパ。
語学学校は土日休みです。

10月6日(土)

ある日本人の方と先輩隊員に誘われて食事へ。

その方は数少ないモザンのありのままを知る情報源、「モザンビークの青い空」の作者の方でした。
残念ながらまだ読んだことは無いのですが。


聞くところによるととても豪快な生き方をしている方で、確かに、面白いエピソードがたくさん出てきました。
美味しいシーフードが食べられるレストランにも連れて行ってもらったし、すごく良かったです。

この日、体育隊員のきよぽんとリーデルは、空手隊員ヤスコと一緒に、地元の剣道・居合道協会に招かれて指導に行っていました。
なかなか強い人が居たり、柔道のナショナルチャンピオンがいたりと、刺激的なおもしろい経験ができたようでした。

剣道を専門にやっているきよぽんなので、すごく活き活きと楽しそうです。
モザン人から逆に心意気を学んだりと、充実しているようです。

10月7日(日)
この日、コスタ・デ・ソルという観光地的ビーチに行って来ました。
自分たちだけで初めてシャパに乗ったのですが、行きも帰りもドライバーの選曲で、車内には爆音で音楽が流れてます。
選曲はグー。
それで砂浜を歩いてちっちゃい子に話しかけて無視されてみたり、ガリーニャ(鶏肉)焼いたやつと、初めてシーマっていうとうもろこしの粉をこねて作った主食的なものを食べました。
お腹いっぱいで50MTn(200円くらい)。
モザンの鶏肉は美味しい上に、海外沿いの露店だから炭火でやってます。
それがよけいにうまかったす。

お金について補足。
通貨単位。正しくは“MTn”で、ical(複meticais) ova familia
の略ではないかとのことです。
以前の日記でも書きましたが、インフレでおかしくなってた通貨の単位をここ1,2年で修正したので、新体制というような意味でnova familiaが付いたのでしょうか。
以前の日記http://banzai3show.blog95.fc2.com/blog-entry-87.html

マプトでの首都研修期間 | 07:11:41 | Trackback(0) | Comments(2)
語学学校について
以前まで、首都マプトでの語学研修では、隊員はホームステイをしてモザンビーク人と寝食を共にしながら語学学校に通っていました。
さらに午後は現地学生をチューターとし、一緒に街を散策してポル語を使う練習をしていました。

今回の19年度2次隊はそれを大幅に変更し、諸々の理由からホームステイは無し、チューターとの散策も無し、語学学校も今回から違う学校ということになりました。

2003年派遣開始で歴史の浅いモザンJOCVでは、いろいろと新しい試みをして可能性を探る、選択肢を増やすということも必要なのです。

10月1日(月)
初日、9時から11時まで午前中の授業を受けました。
現地人の先生とポル語ばかり(たまに英語)で話していると、初日から少しうんざりしました。
こんなんで大丈夫か俺、と思っていると衝撃の事実が告げられました。

あなたたち午後授業無いわよ。
担当の先生がマラリアで休みだから。

・・・・・・・・・はい。

お昼休みはなんと11時から14時までたっぷり3時間あります。
しかし初日は14時以降もフリーに過ごしました。

それから一週間通ってみて、うんざりすることもなく学べてます。
昼休みをもてあますこと以外は特に困ることもありません。
主に英語を学んでいる現地学生も、練習相手に快く会話に付き合ってくれます。

マプトでの首都研修期間 | 05:07:05 | Trackback(0) | Comments(0)
大使館訪問
伝えたいことはたくさんあります。


モザンビークにある日本大使館に表敬訪問をしたのは、到着して2,3日目だったと思います。
訓練所で支給されたJOCVジャケットの数少ない出番です。

大使館までは貸切のミニバスで行きました。
大使はピッと口ひげをたくわえており、領事は背筋がピッと伸びており、どちらも一分の隙も無いようなきちっっっとした格好をしている方でした。
なんだか明治時代の偉い人みたいな雰囲気を感じました。

モザン人は結構見た目で人を判断するという話も聞きましたが、そういう風潮にも気を使ってのことなんだろうかと、少し考えたりもしました。
ビシッとしてる具合が並一通りではなかったので。

JICA事務所に帰ってから宿泊中だったホテルまで、たった300m程度なのにバスで送られました。
首都はそんなに危険なんですかと、安全対策の方に尋ねたら、
「ジャケット着てる人は金持ちだけだし、そんな人は車に乗るから街を歩いたりしないもん」
と言われました。

300mの距離を、です。
真昼間に、です。

うわあ、そんなに気を使うほどなのかあ、と、改めて警戒心を強めました。
もしかしたら貸切バスは丸1日契約で、もったいないから使っちゃえ的な考えがあったという可能性も無くはないです。

今では街を歩くことにも慣れてきたので怖いという気持ちは少なくなりましたが、可能性が無くはない土地にいるのだという警戒心は、これからも失くさないようにしたいと思います。

土産物売りをあしらうのと、車優先社会の道路を横断するのには少し慣れてきた今日この頃です。
写真:JICA事務所の前。
街の様子とmcel売り
1ヶ月か2ヶ月くらい前に事務所の前で警察と泥棒たちの銃撃戦があったらしいです。
右の方に写ってるような黄色いベストを着ている人が、プリペイド携帯のカードを売っています。

バスの中から激写したシャパ。
シャパ

TOYOTAタウンエース的なものが、市民の足として街中を走り回ってます。
ちゃんと路線もあって、市内なら5MT(20円)。
シャパや物を運ぶ車や乗用車は大多数が日本車で、トヨタ、ニッサン、ミツビシをよく見かけます。

シャパはボロボロで、改造4列シートで16人は余裕で乗れます。
混むときは20人台後半詰め込むらしいですが、乗ったことは無いです。
市民の足として電車が走っていないので、200万都市のマプトなら混むのも分かる気がします。

シャパには「○○スイミングクラブ」とか、「○○自動車学校」とか書いてあります。
マイクロバスサイズのシャパもよく走ってます。

マプトの交通を支えているのは、モザン政府でも日本政府でも欧米列強でもなく、日本車なのです。

マプトでの首都研修期間 | 03:23:52 | Trackback(0) | Comments(0)
お買い物の話
派遣前訓練の最終日にJICAから諸経費や手当てが振り込まれました。
必要なもの買ったり保険に入ったり国際宅配便を送ったりするとどんどん無くなります。

当面の生活費として、日本から米ドルで2000ドルほど持ってくるように指示されました。
予め支給された赴任手当から2000ドル(23万円ちょいくらい)捻出。
現地で少しずつ換金しながら生活費にしたり、ホテルの宿泊料金を払ったりするのに必要です。

1ドル=26.2メティカイス
です、今のところ。

値段の相場。
外国料理(タイ、イタリア、インド、中華、ポルトガル)のレストランは200MT(800円)以上軽くかかったりします。
隊員がこんな外食を続けていてはお金がもたないそうです。
ハンバーガーやトーストサンド40~90MT(160~360円)
瓶のコーラ(300ml)で10MT(40円)、レストランだとその倍くらい?
リサイクルできないからか、何でも瓶より缶のほうが高いです。
生ビール350mlで35MT(140円)くらい。

モザンには地ビールあり、それは安くて日本のよりもおいしいと思います。
このことがモザンへ来たことをすごく嬉しく思わせてくれます。
2M(ドイス エミ)というのとロウレンティーナ(黒もある)がポピュラー。

メルカド(mercado=マーケット、市場)へ行くと野菜なんかが量り売りで売られています。
ニンジン、タマネギ、キャベツ、ピーマン、ジャガイモなんかが、
それぞれ1kgで20~30MT(80~120円)くらい。
洋ナシが1個10MT(40円)、オレンジ1個5MT(20円)、バナナ1kg15MT(60円)、リンゴ1個12.5MT(50円)くらいかな。

野菜果物はすごく安く感じますが、スーパーでも相場はあまり変わらなかった気がします。

果物はどれも日本のと変わらないかそれ以上に甘くておいしかったです。
果物は皮にしっかり包まれていて傷みにくいからか、大通り沿いの露店やリヤカーで運びながら売っているのをよく見かけます。
形がいびつだったりバナナの側に黒いとこがいっぱいあるのも、なんだか自然な感じがします。
かといって農薬使ってないとも限らないか?

外ではスリ・引ったくり・強盗を警戒してデジカメやケータイの使用は控えます。
なので売っている様子の写真が無いのが残念です。
いつか。


マプトでの首都研修期間 | 23:45:39 | Trackback(1) | Comments(6)
モザン、ホテルでの暮らし
到着した9/25から30日朝まではホテル暮らし。
その後は隊員連絡所(=寮・ドミトリー・ドミ)にて1ヶ月暮らします。

ホテルはかなりのランクのホテルだったらしいけど、それはやはりモザンでの話。
安い方の部屋は鍵がロッカーの鍵と変わらないレベルだった。
しかしお湯は出るし電気もつくしエアコンもあるし、清潔だし快適に過ごせた。
中庭にはプールまであって、やはりかなりのレベルのホテルだと思った。

一部屋1泊90ドルくらいだそうだから、ほんと一部の金持ちしか泊まれない。
ホテル泊は6泊で自腹。一部屋に3人ずつだったので一人200ドルくらい。

ネットを使えるパソコンも1台置いてあったけど、それは有料で、しかも使えなかったから1度挑戦してから諦めた。
フロントに文句を言ったらボーイさんがパソコンをチェックしに来てくれた。
けど彼はその場しのぎ要員らしく、明らかに的外れな操作をしていた。
というかインターネットエクスプローラーの開き方も分かっていないようだった。
日本人のようにパソコンを普通に使いこなせることってすごいんだと実感した。

一流ホテルでも使用人は最低賃金くらいで働いているので、貴重品の取り扱いは散々注意するように言われた。

のに一度ホテルの部屋に貴重品を出しっぱなしで忘れて出て、ヒヤヒヤしたことがある。
ベッドメイキング前に取りに戻ったから良かったものの、掃除の人が入っていたら無かったと考えて間違いない。
本当に危なかった。

洗濯。
クリーニングが日本と変わらないかそれ以上に高かったので、自分たちでお風呂で洗濯。
ホテルで洗濯中


ホテルの中庭で体育隊員のきよぽんが宿泊客の子に剣道普及活動。
竹刀の変わりにバナナの葉の芯を使って。まずは弟と。
きよぽんの活動弟くんと


ホテルの中庭にはバナナだけじゃなく、ホテル「VILA DAS MANGAS」の名前の由来となるマンゴーの木もたくさん。次にお兄ちゃんと。
きよぽんの活動お兄ちゃんと

ブラジルからきたマダムも優雅にくつろいでらっしゃいました。
左に居るのは植林でモザン隊のリーデル(リーダー)
ホテル中庭で剣道指導


大通り沿いには物を売っている人がたくさん。
写真はバティークという、ろうけつ染めの布を売っているところ。
木と木の間に上手にロープを張って吊るしてる。
いくらなのかは聞いたこと無いからわかんない。
道端の土産物売り
かなりキレイなので、いつか買いたいと思います。

海岸沿い。
経済成長中のマプトはいろんなものを海に垂れ流しらしく、砂浜はキレイだけど海は変な色で汚く見えました。
現地人とかは泳ぐけど、俺らは泳がないほうがいいらしいです。
田舎に行くと海は透き通るようにきれいなんだとか。
Costa de sol  太陽海岸?とかいう観光地としてのビーチがあります。
その浜辺沿いにお土産のツボか何かを売ってるとこ。
マプト海沿いの土産物売り


モザンビークのお金。
紙幣は500,200,100,50,20。
硬貨は10,5,2,1,0.5。
モザン通貨メティカイス
通貨の単位はメティカル(MT)
複数形はメティカイス(1メティカル、2メティカイス・・・・)
1MT=4円ちょっと。
少し前まではすごいインフレでお金の価値が低かったため、
1000MTが今の1MTと同価値で、1000MTを1コントと言って使っていました。
その名残で、先輩隊員やスタッフは今でもコントという言葉を使ったり、
以前の5000MTコインが5MTコインとして使われていたりします。
写真は紙幣と、コインは左端が10MTで右端の0.5MT(50センターヴォス)へと続きます。

一番よく使われる20MT札がとても汚い場合が多く、ヨレヨレのしなしなのネトネトのヘロヘロ&手垢で真っ黒で、お金を触ったら手を洗ってからごはんを食べないとお腹が痛くなりそうです。

最近マプトの街並みにも慣れてきてしまって、何が珍しくて何が普通なのか感覚がマヒしてきました。
どんなことにカルチャーショックを覚えたのか、できるだけ書き記したいと思いますが、自分の肌の色さえ忘れてしまいそうです。
黒人じゃない人を街で見るとジロジロ見ちゃったりして。

マプトでの首都研修期間 | 07:51:27 | Trackback(0) | Comments(4)
遅ればせながら、モザンビークより
9月24日(月)

松山空港にて。
りょうと一旦2年間のお別れ。
屋上で離陸を見てくれてるというりょうを飛行機の中から一生懸命探したけど、小さすぎて人影かどうかも見分けられないくらいだった。
けど確かに俺の視線の先に居たことは確かです。

成田空港。
この日は隊員出国ラッシュ3日間の2日目で、この日出発の人、翌日出発の人が成田に集まって、たくさんの仲間と会えました。
やっぱりどっか感情のネジが飛んでいるのか、仲間との別れはほとんど淋しくも悲しくも無かった。
ただただ、2年間日本を離れることに実感を持てないまま、飛行機のタイヤはあっさりと地面を離れ空へ飛び上がった。

「ただ未来へと夢をのせて」

香港での乗り換え。
南部アフリカ行きの隊員が50人近く一緒に行動しているので、気も大きくなりがちだし頼れる人がたくさんいるので不安も無い。

マイレージもしっかり溜めた。
機内食は日本時間で夜中の2時。
南アに着くまでに機内食が3回くらいあって、食べてばかりの気分だった。
飛行機の中の日の出
南ア行きの飛行機の中での日の出。

飛行機の中のリモコン
ゲームが出来たり買い物が出来たり電話が出来たりする、金持ち向けオプションつきリモコン。

南アの空港を上空から
上空から見た南アフリカの空港。
南アはアフリカといえども先進国。
どのくらい先進国かというと、心臓移植手術を世界で最初にしたというほど(不確かな情報)。
なので空港もめっちゃきれいやし物もたくさんです。

25日早朝6時半頃。南アで最初のお別れ。
南アに入国する南ア隊、ボツワナ隊、ナミビア隊とはこれから2年間姿を見ることは無い。
2年分の握手や抱擁なんてどうすればいいのかわからないけど、少し強めに握手をして、笑顔でお別れした。

モザン隊は南アの空港で次の便まで7時間待ち。
うろちょろしているうちにマラウイ隊12人が出発ゲートに向かった。
それはザンビア隊と一緒に見送ったから良かったけど、次にザンビア隊19人を見送ったら残ったのはモザンの6人だけ。
これはさすがに一抹の寂しさを覚えた。
でも南アの空港はめちゃめちゃキレイで、レストランのごはんも飲物も美味しいし、全然これから発展途上国に行くという気がしなかった。
マプト行きの掲示板
やっと表示された俺らが乗る飛行機の時間。
朝6時半から13時50分の飛行機を待つ。
モザンビークの首都はマプト。

本当は9時台に接続のいい便があったのだけれど、それはスルーする。
後で聞いた話によると、あまりスムーズに乗り換えてしまうと荷物の積み替えに余裕が無くなって、預けた荷物が届かないことがあるかららしい。

いよいよ出発ゲートで搭乗を待つモザン隊に緊張が走る。南アで会いマスク

13時50分発の飛行機でいよいよモザンビークはマプトへ。
マプトの空港は小さくてボロくてとても首都の国際空港には見えなかった。
入国審査も適当で、後で聞いた話しによると公人用のゲートもあったんだけどあんまり来ないから閉鎖されてて、せっかくのオフィシャルパスポートも意味なし。
しかも超無愛想な空港職員に荷物をチェックされかけて、その態度にカチンと来た。

オフィシャルパスポートを見せても末端の職員にはそれがどういう意味をするのか分からないことが多いらしく、普通にチェックしようとしていた。
そこへ変な邦人のおじさんが助けに来たと思ったら、その人がとうやらJICAの職員の方で、その人が流暢なポルトガル語で職員に話をし、中身をチェックされたり引き止められたりすることもなく空港を出ることが出来た。

理不尽なことや間違ったことが、組織力の弱さから末端の独断によって当たり前にまかり通ってしまうことがある、そんな場所に来たんだなあという実感。

空港を出ても当然黒人ばかりで、しかも荷物を運ぶのを手伝ってチップをもらおうとする人が群がってきてちょっと引いた。
しかもJICAが雇ったシャパに荷物を積んで、スタッフの人は別の車でホテルまで行くんやけど、同乗したタクシー運転手のパートナーと、チップ目当ての物乞いの区別が付かず、この人一緒にシャパに乗ってるけど大丈夫なの?ってことすら疑える状況。
シャパとはタウンエースのボロイやつをモザンで乗り合いバスやタクシーとして使ってる奴。
外には荒廃した街や裸足で走り回る子供たち、物を売るおばさんたち、たくさん詰まれた車のタイヤ、車のマフラーを木の枝のように刺しまくってアートみたいな感じになってるもの、そういうものがたくさん目に入ってきて、処理しきれなかった。
マプト少し都会っぽい写真
マプトは南部アフリカの途上国ではなかなかのレベルの都会。

マプト市路中
しかしインフラ整備はやはり先進国を思い描いてから見るとかなりギャップがある。

マプト郊外土嚢
裸足の子供がかけまわり、崩れかけのブロック塀に囲まれたような家に住んでたりする。

マプト郊外川べり
壁にはいろいろ広告がペイントしてあって、コカコーラは多い。でも一番多いのはmCelという携帯電話のメーカー。
街にはどこにでも看板と、プリペイドなのでカードの売り子がいる。

マプト郊外マフラー売り
どっかから良くない方法で調達してきたかもしれない車のマフラーを、まるで木の枝のオブジェのようにぶっ刺してある。
売っているのでしょうか。

まだ俺にとって黒人達の貧しい町並みはテレビの中の世界で、その中にいきなり引きずり込まれたような心持だった。
できればもっと自分のペースでゆっくり溶け込みたかったが、マプトの中心部にあるホテル「Vila das Mangas」まで一気に連れて行かれ、さらにJICAの現地スタッフのラウルさんにJICAの車で事務所まで連れて行ってもらうが、その時は黒人が誰一人信用できず、全員に警戒心むき出しだった。
つまりまわりみんな怖かった。

事務所でオリエンテーションを受け、支給されたNOKIAの携帯電話を受けとる。

事務所のあるビルはPOLANAショッピングセンターというキレイなビルで、エレベーターがきちんと機能しているのはこのビルくらいのものらしい。
他の建物はポルトガル領時代からあるものばかりで、街のほとんどが30年から40年も前のものがそのまま残っているらしい。
空港も例外ではなく、その当時からしたらどれも最新のスバラシイ建物ばかりだったのだろう。
今はそれが荒廃したり内戦の傷跡でボロボロになっているだけで、新しく建つことはほぼ無さそうだった。

スタッフに連れられて事務所の向かいのハンバーガー屋でこの日の晩御飯を調達。
ショッピングセンター内のスーパーで水なんかも買って、ホテルでモザン最初の晩餐。

事務所やホテルのある24 de Julho通りはマプトでも一番の目抜き通りだが、日本から持ってきたsoftbankの携帯がずっと圏外。
訴えてやる。

マプトでの首都研修期間 | 05:42:29 | Trackback(0) | Comments(6)

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