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りゅう

Author:りゅう
愛媛県出身。
青年海外協力隊19年度2次隊
モザンビーク共和国マプト州の片田舎
美術隊員として派遣。
派遣期間2007年9月~2009年9月

そんなりゅうのJOCVの一部始終を、断片的にお伝えします。

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ラモスからの電話その2
12月19日(水)~21日(金)

 19日の夕方、シブトゥトゥイーネの家にいるとラモスから電話がかかってきた。
「今度学校に行くよ、一緒に写真を撮ろう」と彼の方から言ってきてくれたんだ。
約束は21日の朝7時に(早いな)!

 前に書いたように、卒業式の日、生徒と一緒に写真を撮るつもりだったのにその約束をおろそかにしてしまった俺は、そのことをすごくすごく悔やんだ。だからせめて、これからできる一番誠意のこもった対応をするために、たまたま撮っていた彼らのスナップ写真を現像し、手紙を書き、封筒に入れて、会える機会を少なくとも任期の2年間は待とうと決心したんだった。
 だから俺はその電話がすごく嬉しかった。前の電話のときに、会いに行くよって言ってくれてたけど正直半信半疑だった俺は、そういう風に疑った自分を恥じた。
→12月3日(月)卒業式、裏切り    →12月4日(火)ラモスからの電話

 ただその日は一時的に首都から用事で自宅に帰っていただけで、カメラを持ってきていなかった。しかしここで諦めるわけにはいかず、夕方からだけど急いでシャパ(ミニバス)に乗って2時間かけて首都に上がった。
 そして翌朝また自宅に2時間かけて戻り、ラモスに手紙を書いて、封筒に入れて準備を万全にした。
 過ぎたこととして諦めず、また会えることを祈って写真を現像しておいてよかったー。信じてさえいれば、会いたかった生徒みんなにまた会えるんじゃないかと、うきうきとした希望の光を感じながら翌朝を迎えた。

そして21日の朝。
彼まったく来なかったよねー。
待っても待っても来なかったよねー。
メールしても電話してもつながらなかったよねー。
結構、ココロにぐっときたよーーー。


(後日談。その日どうしても首都に行く予定だった俺は15時前に学校を出て、ラモスはその後15時に学校に来たらしい。残念。 )


俺の日本の携帯で自分のキメ顔を撮影するラモス。

Ramos


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モザンビーク ~人々~ | 10:50:49 | Trackback(0) | Comments(0)
急性胃腸炎になってました
12月9日(日)体調不良

22:00
 夜、ドミ(隊員連絡所)で適当に食べ物をつまんでいると、いきなりお腹に違和感を感じ始めた。(それを俺はマサーラという果物のせいではないかと決め付けている。)
23:00
 気持ち悪いので早めにベッドに入るが、時折痛みで目が覚める程お腹の調子が悪い。
01:30
深夜1時半くらいに起きてきてトイレへ行き、少し下す。
 それでもお腹の気持ち悪さが抜けず、楽になりたくって一生懸命吐く。2,3度吐いてお腹の中は空っぽになったと思ったのに、それでもお腹の違和感と不定期に来る痛みは治まらず、熱を測ると37度を超えている。
 寝るのも大変だった。

12月10日(月)急性胃腸炎

05:30
 前夜から続く嘔吐と下痢で、明らかに水分不足だった。脱水症状を起こさないためにも、常温の水と粉末ポカリで薄めのスポーツドリンクを作る。少しずつ飲むが、ある程度飲んだら下して出てしまう。熱も38度近くにまで上がる。
09:00
 熱が出るとまずマラリアを疑わなければならない。マラリアは処置の早さが物を言う。
 簡易マラリア検査キットを試すも、なかなかうまくいかず正しい検査結果が出ない。多分陰性だろうと思いながらも、不安になる。
(後でマラリアにかかった人の話を聞いたが、マラリアならこんな生易しい苦しみではないようだ)

13:30
 昼から病院へ行き問診と採血。
 結果が出るのは2時間後なのでいったん帰るのだが、帰るころには鳥肌が立ち寒気がしてきた。
 熱が上がってきた証拠だ。測ると今回最高の38.5度をマーク。
15:00
 しかし解熱剤を飲むためにお腹に食べ物を少し入れても吐いたりすることもなく、その後病院に行くまでの1時間半、汗びっしょりかいて熱の下がりそうな寝方をした。
 ので、平熱まで下がった。
17:30
 病院の検査の結果もマラリアでは無いと出て、ほっと一安心。しかし
              急性胃腸炎
いわゆる食あたり、食中毒です。
なのに夜はカレーも食べて少しビールも飲んで、お腹はまだ下り気味だった

 俺が食べたマサーラは日中から暖かいダイニングに放置されていたもので、食べた後冷蔵庫に保管されていたにも関わらずカビが生えていた。
 原因はそれでしょ。

モザンビーク ~暮らし~ | 07:19:54 | Trackback(0) | Comments(3)
12月7日(金)お裁縫
 洗濯物を雨でめちゃくちゃにやられたので、長期休暇に入ったのにこの日もまた首都マプトへ行けなくなった。
 朝から濡れた洗濯物を濯ぎなおし、乾くのを待つ間にお裁縫にチャレンジ。
 余っていたカプラナ(アフリカの布)で、前々から作ろうと思っていた洗濯ばさみ入れを作った。なぜ洗濯ばさみ入れかというと、洗濯物を干すときに、どうしても小脇から洗濯物をさっと取り出したかったのだ。
 トートバッグを参考にしながら、マチもちゃんと作って、チクチクと4時間くらいかけて一気に仕上げた。

A pasta da minha mão

 かなり充実した時間を過ごせた。これで学校の服飾室のミシンが使えたら、もっと手軽に複雑なものができそうな予感。洗濯ばさみを入れる為だけには少し大きいかな。それにペラッペラの布を袋にしただけなので、ペラッペラの鞄である。

A pasta vestido

同僚のマルティンシュは自分のシャツを自分で作ったりしてるし、そういうのいいね。

 夕方洗濯物を取り込んで部屋干しに切り替えたとたん、また雨が降り出した。我ながらナイス判断。
 雨が降ると電圧も安定せず停電も頻繁に起こり、冷凍庫の物が熔けはじめ、扇風機も弱々しくなる。こうなるとますます早く首都に上がりたくなる。

モザンビーク ~暮らし~ | 05:44:30 | Trackback(0) | Comments(1)
12月4日(火)ラモスからの電話
 卒業式から一夜明けて、惰眠をむさぼったり少し陶芸の仕事をしたりしたこの日。フェスタの翌日ということと生徒がいなくなったということから、校内はすごく閑散としていた。もういないんだ、という実感とともに、ベルノーゾの笑顔とそれを裏切ったことへの後悔が胸をギュッと締め付ける。せめて携帯が繋がれば良かったのに、ベルノーゾはもう携帯を売ってしまっていた。

 ジュリオは携帯を持っていないし、ポリカルポとアゴストは携帯の番号を知らない・・・とか考えていると、ラモスの携帯番号を知っていることを思い出して、せめて彼だけにでもと、卒業のお祝いと、写真撮りたかったというメッセージを送った。

Os meus parabéns para sua graduação!
Ontem queria tirar foto contigo, mas n pude.
Obrigado para conversar comigo muito.
Bom trabalho! Até a próxima.

 すると夜、ラモスから電話がかかってきた。やっぱりラモスは式典の後、俺を探したらしい。ということはベルノーゾはもっともっと探しただろう。どんな顔で俺を探していたのか、どんな顔で諦めて帰る決断をしたのか。
 これからは絶対に生徒を裏切らないようにしよう。期待に応える努力を怠らないようにしよう。そうしていると、いつか彼らと一緒に写真が取れるような気がする。

 ラモスはまた学校に来てくれると言ってくれた。それが本当に現実になるのか、またいつになるのかは分からないけれど、ベルノーゾだってジュリオだってポリカルポだってアゴストだって来てくれるかもしれない。そんな期待をラモスの電話に見出した少し寂しい一人の夜。

モザンビーク ~人々~ | 06:14:48 | Trackback(0) | Comments(0)
12月3日(月)卒業式、裏切り
 卒業式当日の朝、約束の6時を数分回ったくらいに展示室に行くも、当然誰一人来ておらず一人で少しキレる結局20分過ぎたくらいにちょいちょい現れ始めたけど、今更そんなことどうでもいいよ。

 今日は生徒が主役。生徒の日。朝早くから生徒達はせわしなくうろうろしたり衣装合わせをしたりしていた。晴れ舞台だ。
 何人かの仲良くなった生徒と一緒に、晴れ姿で記念撮影をしようと、俺自身もスーツ姿でうきうきしていた。

 こっちの卒業式で日本と違うところは、生徒が500人くらいいるのに、代表者じゃなく一人ひとりの生徒に卒業証書を手渡すこと。
 そして生徒が前で詩の朗読・・・ではないけれど、思いのたけを発表するマイクパフォーマンスの場がある。他にも伝統ダンスの披露や、許可が出ず今回は出来なかったけど、劇のようなものも企画していた生徒もいた。

●卒業式が始まる頃            ●ベルノーゾとその友達のマイクパフォーマンス
卒業式風景  ベルノーゾと友人のポエジア



 さらに日本と違うところとして、よりたくさんの(おそらく定番の)歌を、時に観客も一緒に歌う。前に立っている人だけじゃなくみんなで参加できる機会があるので、これは日本の静粛な式より楽しい。

●結構壮大で感動する合唱。音楽コースのリードによる。
イーノ


●生徒はコースによって色の違うたすきをかける。
生徒の格好
ちょっと喋ったシャベール君と、知らない子。


 この日は教育文化省の大臣らしき人が来ていて、そのせいか銃を持った警備の人もいたらしいし、報道陣もたくさん来ていた。おかげで俺は夜のTVMのニュースで出たらしい。うふ。
 30分にも及ぶ大臣のロングスピーチを最後に卒業式のセリモーニアは終わりを迎えた。

 シガウーキが恋人(生徒2,3人)と写真を撮ってくれというのを振り払って、来ていたJICAスタッフの方を我が家に招待していると、時間が過ぎて生徒達がみんな帰ってしまっていた。
何人かの生徒とは一緒に写真撮ろうって約束までしていたのに。
ベルノーゾは、式の途中でジェスチャーで合図を送ってくるほど、俺と一緒に晴れ姿の写真を撮るのを楽しみにしていたのに。
俺のポル語の上達を応援してくれたジュリオ、最初に何時間も喋った生徒ラモス、けん玉つながりのポリカルポ、一緒にマサーラの実を採りに行ってくれたアゴスト。

 そいつらの、特にベルノーゾとの約束を守れなかった俺は、教師として、大人として一つの裏切りをした。ベルノーゾがもし、まあそんなもんかと諦めていたとしても、その不信がのちのちの彼の生徒にまで波及することになるかもしれない。一生懸命でない大人を子供は尊敬できない。尊敬できない大人に教わると尊敬できない大人が育つ。自分にそこまで影響力があるとうぬぼれているわけではなく、教師となるベルノーゾのここ一番の生徒のための頑張りが、俺が約束を破ったばっかりに少しでも弱くなるのではないかと、ただそれだけが悲しい。悲しくて悲しくて、後のフェスタで飲みながらも涙が出そうになった。一旦、門の外のシャパ乗り場まで探しに行ってはみたものの、シャベールしかおらず彼らには会えなかった。
 ジュリオに関しても、俺の歩み寄りが足りなかったのは2度目だ。彼はきっといい先生になるに違いない。けれど、そんな中で俺を思い出すときに一抹の悲しみが付きまとうかもしれないのはこの日の俺の裏切りのせいだ。
 生徒が帰った後の学校の廊下は、飾り付けられている分、いつもよりも閑散と、長い廊下だった。

モザンビーク ~人々~ | 07:48:31 | Trackback(0) | Comments(3)
12月2日(日)卒業展示会の準備しろ
12月2日(日)Exposiçãoエスポジサゥンの準備

 この日ベンフィーカからシャパ(ミニバス)に乗るとき、ちゃんと忠実に安全対策の言いつけを守り、磨り減ってひび割れたタイヤのシャパはやりすごし、次のキレイめなシャパに乗って、そんな判断をした自分に大満足でうちに帰った。

 17時過ぎに学校に着いたけど、卒業式前日の夕方なのにまだ展示は全然終わってなかった。
 土曜の夕方から来ると言っていたはずの助っ人ロベルトも日曜にすら来てなくって、すべての予想と期待が裏切られた。ここは自分の語学力の無さから日時を聞き間違えたと思うのがベストだ。事実その可能性も無いわけではない。その後19時頃ロベルトは来た。

 デザインの先生シガウーキは超テキトーな感じで展示を進めていって、つじつまを合わすために展示する作品としない作品を適当に選んでいた。俺は、生徒の卒業展示会なんだから、生徒の作品は全員のものを展示すべきだと主張した。でもそれは根本から間違ったすごくバカらしい主張だと後で気付いた。この展示は生徒の作品発表会ではなく、この学校の体裁を少しでも良く見せるための飾りでしかなかった。美術教員であるマルティンシュの作品も展示されてるし、聞いたら助っ人ロベルトが描いたという絵もたくさん展示してしまってる。この展示会が一体何なのか、混乱した。

 そして、シガウーキ先生にそんな主張をしてしまったばっかりに、よしじゃあ次は陶芸作品の展示だからお前やってみろみたいな感じで言われて。ただでさえ難しい作品の展示という作業を、準備不足のひどい状態とひどい作品たちで任されてもスムーズにできるはずもなく、すっかり困ってしまった。指示を出すにも言葉がなかなか出ず、シガウーキの下手な英語で
Think quickly.
なんて、モザンに来てから一番悔しくて腹の立つ一言を言われてしまった。
それでもポル語はもちろん、英語もまくし立てられるほど喋れるわけでもないので、ストレスばかりが溜まった。
すごくいやな気分なまま展示は終わらず、そのうち校長が現れて今日は遅いから明日、当日の朝やろうみたいな空気になったんだっけ。

 それから24時くらいまでバラッカ(掘っ立て小屋)でロベルトや他の先生と飲んで。
こいつら普段の段取りが悪いからこんなことになっているのに、絶対、「よく働いてるぜ俺たち」、なんていう変な満足感に浸ってるはずだ。
 翌日、JICA事務所の医療スタッフが部屋に来るので片付けをしてから寝たら、1時半を回っていた。
 翌朝はみんな来るかわからない6時集合。


風船 風船ちょうちん 展示1

   展示2   展示3

   展示4  展示5


展示6 窯の模型2 窯の模型1




モザンビーク ~隊員活動~ | 07:06:10 | Trackback(0) | Comments(0)
語学コミュニケーションについて思ったこと
コミュニケーションは空気が第一で、語彙や文法は二の次と言っていい。
その証拠に、話題が何か分かっているときの会話は、相手が言うことを予想しながら次の言葉を待てる。
反対に何もないところでいきなり質問されたときには、言葉の意味を考えるのに時間がかかる。

こんなことがあった。
走行中のシャパから子供がゲロを吐いたので、車体にゲロが付いた。
目的地に着いて客を降ろしてから洗うものと思っていたら、途中、何かで止まったときに、運転手がいきなり水をかけて洗い始めた。
車内全体が「なんだこいつ?」という空気になったときに、日本語でボソッと
「後でやりゃあいいのに」と言ったら、隣のおばさんが
「Tens razão.(そのとおり)」
と言った。びっくりしたけれど、その場に当てはまる言葉はお互いそれしかなかったから会話が成立したのだ。
だからつまりコミュニケーションとは、その場の全員で風を読んで、
一艘の帆船の舵をとるようなものだと思うのだ。
それが出来ない奴との会話はどこの国の人であろうと難しい。

しかし語彙や文法を知らない俺も会話が難しい。

思ったこといろいろ | 18:28:36 | Trackback(0) | Comments(0)
11月28日(水)轆轤と浮気相手たち
11月28日(水)ロクロと浮気相手たち

前日から試しに始めたロクロの作業で、今日は削りをやってみた。
結構湿っていて軟らかかったのに、硬くて削りにくかったりした。
土ものってそんなもんやっけ。
久しぶりのロクロで、しかもいつもと逆の左回転だったこともあり、作りはいまいち。
それだけじゃなく、後日、恥ずかしくて見せられないくらいS字の亀裂が入ってしまった。
次はもっと気をつけて。


同僚の美術教師の軽いカミングアウトによると、4人の浮気相手たちが
同時に美術室に居た状態があったそうな。
一人は目の前でキスしたからすぐ分かったのだけれど(すんな!)、
浮気相手たちが4人もいて、全部生徒だってのが驚きである。
これはモテモテということなのか?

しかも同じ敷地内にいるのに奥さんだけそれを知らず、
浮気相手達はお互いにその存在を認め合っているらしい。
これがこの国の文化ということだが、それだけでは成り立たない。
公衆の面前でキスするくらいだから周りの人たちをもそれを知っているのに、
誰かが告げ口をしたり異議を唱えたりというようなことをせず、
完全に容認してしまっていることも含めてこの国の文化なのがすごい。
奥さんは本当に知らないのだろうか?
校長も知らないらしいし、奥さんと併せて俺のブログを紹介してみようか。
読めないだろうけど。

モザンビーク ~人々~ | 18:15:43 | Trackback(0) | Comments(0)
おつり、ちょろまかされても
11月26日(月)追試一人に監督二人

 この日から追試とかの第2期試験が始まった。監督をしたのは教育方法論か何かだったような気がするけど、受けている生徒はたった一人。それに試験監督2人という、監督の方が生徒より多いという状況に。

 その時に暇だし窯作りの本を読んでいたのだけれど、読めば読むほど具体的に足りないものが出てくる。
誰かが、「お金がないから何も出来ないという人は、お金があっても何もできない」と言いはしたが、いかんせんどうしてもお金に目がいってしまう。
それ以前に、ここで本当に必要な物が何か見極めないと。
日本の物を当てはめようとするのは無理がある。



11月27日(火)

 生徒の一人、マルセリーノ・ベルノーゾと一緒に村へお買い物。
行きのシャパで二人で10MTnのところ、つい20MTn札を出したら、案の定、おつりをごまかそうとしてきた。
同じところから乗った別の生徒はエルメニジルダは5MTn払ってさっさと行ってしまった。
何で自分たちだけ高いんだとマルセリーノが猛烈に講義してくれたが、
結局おつりは6MTnしか返してくれず、7MTnずつ払ったことになった。
ちょうどで払わなかった俺も悪かったが、意地汚くコソコソとくすねようとする根性が腹立つ。
明らかに、東洋人の俺の顔を見てちょろまかそうと思ったに違いない。
それでも、俺のおごりのお金を必死で取り戻そうとしてくれたマルセリーノへの信頼度UP。
オブリガード。

モザンビーク ~人々~ | 18:14:38 | Trackback(0) | Comments(2)

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