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りゅう

Author:りゅう
愛媛県出身。
青年海外協力隊19年度2次隊
モザンビーク共和国マプト州の片田舎
美術隊員として派遣。
派遣期間2007年9月~2009年9月

そんなりゅうのJOCVの一部始終を、断片的にお伝えします。

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原爆についてのプレゼンをした8月6日のこと
8月6日(水)原爆プレゼン

彼女が広島の、原爆ドームや原爆投下時の目印だった橋の目と鼻の先に住んでいる。
俺が来る以前うちの学校にいた先輩隊員が、原爆についてのプレゼンをしていたことをブログで知っていた。

俺もしたいなー、するんだろうなーってなんとなく、日本にいる頃から思っていた。
やっぱりなんとなくでも思い続けていると現実になるもんで、しかも8月6日はどんぴしゃで生徒みんな午後の授業が無い日。

なのでやりました。
ヒロシマのことを中心に戦争と原子爆弾によって引き起こされた悲惨な歴史についてのプレゼン。

しかしギリギリマンの俺は準備ができていないのに前日も寝てしまって、朝の時点で資料や台本がほとんど詰められてないまま、朝礼にのときにプレゼンのことを宣伝した。

アモース教頭が俺の告知を補足してくれた。
俺の告知だけじゃ不十分だったろうから、とても助かった。

今日唯一の午前中の授業も、申し訳ないけど同僚にまかせてプレゼンの準備したおかげで、なんとか余裕を持って原稿を仕上げられた。
昼ごはんは抜いて(余裕持ってないじゃん)講堂でプロジェクタのセッティングをした。
ネクタイもした。

13時55分ちょうどに集合するようになっていたのだけれど、思いのほか時間通りに集まってくれた。
朝礼のとき、アモース教頭がしつこく時間に遅れないように来なさいと言い聞かせてくれたおかげかもしれない。
協力者の存在っていうのはすごく重要だ。
ただそのアモース教頭は結構遅れて来た。
genbaku1プロジェクタとパソコンとセッティングして。

genbaku2難解な文章は生徒に読ませて。

genbaku3聞いてくれてるみたい。

プレゼンはなんとか。
反応は正直わからないけど、興味を持って聞いてくれていたと思う。
ネットで落とした爆発の再現映像は、迫力があるので食いついていた。

戦争の悲惨な過去と関連させて伝えたかったことは、過ちを認め、反省してこそ前進できるということ。
以前の日記でも、謝らない、非を認めない、ゆえに進歩がないということを書いたけれど、
その辺の思いは、言いはしたけど多分まったく伝わってないと思う。
準備が足りなかった。

熱心に質問に来てくれる生徒もいたし、ノートを持ってきてメモを取っている生徒もたくさんいて嬉しかった。
ただ、先生たちへの宣伝が不十分だったので、ちょっと残念だった。
知らずに来れなかった先生たちに、見たかったのにって残念がられて申し訳なかった。

もう発表原稿はできてるわけだし(先輩たちのをかなり流用したけど)、
来年はもっとしっかり。

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モザンビーク ~隊員活動~ | 07:46:12 | Trackback(0) | Comments(4)
ポルトガル語できます
このブログに付けている帰国までの日数カウンター。
普段あまり気に留めることが無いので知らなかったけれど、300日台になっている。

9月24日で日本出発から1年を迎えるのだからその日数は当然なのだけれど、
ちょっとびっくりした。

そして1年を過ぎた頃にはポルトガル語はまあペラペラなものだと思っていたけれど、
日常話しててスムーズに通じないことがまだまだ沢山ある。

そして帰っていった先輩や1年経った今の自分を見たりして、
所詮、2年やそこらの語学力なんてのには限界があるのだなと実感。
語学には最後まで苦労しながら、わからないことをたくさん残したまま帰るんだと思う。

それでも俺は「ポルトガル語が話せます」と言える。
「話せる」というのはその程度の語学レベルということであり、
「話す」ことはそんなに難しいことじゃないということでもある。

目線ひとつでも意思を伝えることが可能なわけだし、
コミュニケーションは語学力だけじゃない部分が非常に大きい。
大体、日本語でも言葉だけではうまく伝えられないことが沢山ある。

でも語学力はあったほうがかっこいい。
正しい文法を使いこなせたほうが、断然かっこいい。
そのくらいの動機の分だけは、まだ勉強すると思う。
Vou me esforçar.
努力します。

思ったこといろいろ | 05:25:09 | Trackback(0) | Comments(4)
生徒に言われたこと。
以前、二十歳そこそこの女子生徒に年齢を聞かれ、24歳(当時)と応えたら驚かれた。

「35歳くらいかと思った」

俺驚いた。

そばにいたもう一人。

「40歳くらいかと思った」

こら。

そんなに老けて見えるのか?
それとも外国人だから年齢不詳に見えるのか。
まったく同年代レベルに見られてなかった。



今日はドミ。
週末は何かと用事でドミが多い。
たまには任地でのんびり過ごしたいなー。

モザンビーク ~人々~ | 09:54:19 | Trackback(0) | Comments(7)
ごめんなさい言わない
モザンビークには、自分の非を認めない、謝らないという文化があるように感じられます。

待ち合わせとか物の貸し借りとかで、時間に遅れたり期限に遅れたりした場合。
謝ることはまずなく、言い訳を始めます。

「バスが遅れちゃって・・・」←分かりきってることやのに余裕を持って出ないから
「ちょっと病気で・・・」←すぐ言うからうそっぽい
「忙しくて・・・」←ギリギリまで何もしないから
「用意したけど持ってくるの忘れて・・・」←まあまず用意もしてない
「食事当番が遅くなって・・・」←間に合わせようと急いだ感じも無い
「準備し始めるのが遅くなって・・・」←ん?これは言い訳か???

こっちだって、責めても時間は取り戻せないことは百も承知なんやから、
一言「ごめんなさい」という言葉が欲しいだけやのに。
言い逃れようとするのが見苦しくて腹が立つばかり。

先日も、個人的に陶芸を教えて欲しいという生徒が、
集会か何かで1時間半くらい遅れてきた。

――生徒が遅れてやってくる――
生徒 「今粘土持ってきます。」
オレ 「ちょい待ち。約束は何時やった?めっちゃ遅れたやん」
生徒 「集会が終わるのが遅れちゃったんです」
オレ 「言い訳は欲しくない(例え正当な理由でも)」
生徒 「せ、せんせい?」
オレ 「ここではどうか知らんけど、日本ではとりあえず遅れたら謝るもんなのよ」
生徒 「ふわあ、先生遅れてごめんなさい」

・・・完全に「ごめんなさい」を言わせた。

言わせたにも関わらず、その「ごめんなさい」の一言で胸がスーッと晴れた。
もう何もかも許して水に流してやろうという気にさえなった。

どれだけ「ごめんなさい」の一言に飢えていたんだろう。
やっぱり非を認めて謝る文化はここにはなかったんだ。

と再認識。

人が間違いを起こすのはしようがないこと。
それを自分で間違いと認めて初めて、反省したり改善したりできる。
成長、発展につながる。

ここの人は、間違いをウソや言い訳で隠して、何も間違ってないことにする。
結果、反省も改善もしないことになり、同じ間違いを繰り返す。
成長も、発展も無い。

成長も、発展も無いのだ。


さて、最近気づいた問題は、俺も言い訳癖がちょっとうつっていたということ。
ヤバイと思ってちゃんと謝るようにしたら、やっぱりそっちの方が
気持ちがスッキリしたよ。

モザンビーク ~人々~ | 06:47:56 | Trackback(0) | Comments(4)
ザンビア旅行その7・最後に
7月12日(土)最終7日目。モザンビークへ。

最終日は移動日。
出発日と同じく4時半起きで空港へ向かうはずが、最後の最後にみんなで寝坊して、予約していたタクシーからの電話で起こされました。
タクシーさん時間通りに来てくれてありがとう。

そんなこんなでドタバタしたものの、空港についてからは順調。
落ち着いて搭乗し、ザンビアにお別れしてヨハネスブルグへ。
しかし不安だったのはこのあとのこと。

実は飛行機のチケットは安さを優先で買ったので南アでの乗り継ぎが非常に悪く、
空港で10時間も待たなければいけなかったのです。

ところが、喫茶店のふかふかのソファに陣取って3人でたわいも無い話をしていたら、特に苦も無く10時間なんて簡単に過ごせてしまいました。
やっぱりビールも飲んじゃったし。
ヨハネスで生ビール
HANSAという南アのビールと、Pilsner Urquel?とか言うチェコのビールがそれぞれドラフトであったので、ものめずらしさについつい飲んでしまいました。
ちなみにおつまみのお菓子はバックパッカー宿で会った日本人のかたにもらったもの。

いよいよ搭乗の時間が迫ってくると、

はあ~、もうモザンビークに帰っちゃうのか~。

と、みんなでげんなりし始めました。
それだけ旅行を楽しめたということでしょうか。

最初から最後まで、寝坊したことを含めてもすごく順調に事が進んだ今回の旅。
しかし最後の最後に落とし穴が。

モザンに入国するとき、俺のパスポートのビザが無効だと言われてしまい、
25ドルでビザを買わされたのです。
普段持ち歩いている外国人用の身分証名称がビザの代わりになったらしいのだけれど、
その時はそれも思いつかず、とりあえず入国しなきゃとついつい払ってしまいました。

それは結局モザンの外務省がビザを発行したときの記入ミスだったのだけれど、払った25ドルが戻ってくることは無く、最後の最後に少し嫌な思いをしてしまいました。
モザンのばか。
仕事が遅いだけじゃなく間違えるとは救いようのない。
しかし一番救いようが無いのは間違いを認めず言い訳ばかりで、
反省をしないところです。
反省無いところに進歩はありません。
ちょっと八つ当たり的な理論展開になってしまったけど。
普段からすごく、心の底から思っていることです。

そんな意外な感じでザンビア旅行記は閉幕。
長々とお付き合いありがとうございました。

ザンビア旅行 | 08:47:45 | Trackback(0) | Comments(0)

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