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りゅう

Author:りゅう
愛媛県出身。
青年海外協力隊19年度2次隊
モザンビーク共和国マプト州の片田舎
美術隊員として派遣。
派遣期間2007年9月~2009年9月

そんなりゅうのJOCVの一部始終を、断片的にお伝えします。

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ごめんなさい言わない
モザンビークには、自分の非を認めない、謝らないという文化があるように感じられます。

待ち合わせとか物の貸し借りとかで、時間に遅れたり期限に遅れたりした場合。
謝ることはまずなく、言い訳を始めます。

「バスが遅れちゃって・・・」←分かりきってることやのに余裕を持って出ないから
「ちょっと病気で・・・」←すぐ言うからうそっぽい
「忙しくて・・・」←ギリギリまで何もしないから
「用意したけど持ってくるの忘れて・・・」←まあまず用意もしてない
「食事当番が遅くなって・・・」←間に合わせようと急いだ感じも無い
「準備し始めるのが遅くなって・・・」←ん?これは言い訳か???

こっちだって、責めても時間は取り戻せないことは百も承知なんやから、
一言「ごめんなさい」という言葉が欲しいだけやのに。
言い逃れようとするのが見苦しくて腹が立つばかり。

先日も、個人的に陶芸を教えて欲しいという生徒が、
集会か何かで1時間半くらい遅れてきた。

――生徒が遅れてやってくる――
生徒 「今粘土持ってきます。」
オレ 「ちょい待ち。約束は何時やった?めっちゃ遅れたやん」
生徒 「集会が終わるのが遅れちゃったんです」
オレ 「言い訳は欲しくない(例え正当な理由でも)」
生徒 「せ、せんせい?」
オレ 「ここではどうか知らんけど、日本ではとりあえず遅れたら謝るもんなのよ」
生徒 「ふわあ、先生遅れてごめんなさい」

・・・完全に「ごめんなさい」を言わせた。

言わせたにも関わらず、その「ごめんなさい」の一言で胸がスーッと晴れた。
もう何もかも許して水に流してやろうという気にさえなった。

どれだけ「ごめんなさい」の一言に飢えていたんだろう。
やっぱり非を認めて謝る文化はここにはなかったんだ。

と再認識。

人が間違いを起こすのはしようがないこと。
それを自分で間違いと認めて初めて、反省したり改善したりできる。
成長、発展につながる。

ここの人は、間違いをウソや言い訳で隠して、何も間違ってないことにする。
結果、反省も改善もしないことになり、同じ間違いを繰り返す。
成長も、発展も無い。

成長も、発展も無いのだ。


さて、最近気づいた問題は、俺も言い訳癖がちょっとうつっていたということ。
ヤバイと思ってちゃんと謝るようにしたら、やっぱりそっちの方が
気持ちがスッキリしたよ。

モザンビーク ~人々~ | 06:47:56 | Trackback(0) | Comments(4)
コメント
同居人が、常日頃言っておりました。
「ただ一言、ごめんなさいといえば済む話」だと。

そして、それは、モザンだけの問題じゃなくて
活動の母体である日本の団体もそうだし
飛躍して言えば、「ごめんなさい」が言えないが為に
戦争も終わらんと。

特に「人が間違いを起こすのは~」以下
ほぼ同じ事を言ってました。
やっぱり、そこは問題の根本なのかもね。

まあ、そんな同居人に「お前はホント謝れねえ」
と常々言われております、、、、。
v-388



2008-08-04 月 11:54:50 | URL | あきちょん [編集]
ふぉおお
ごめんなさい と ありがとう

は人間が生きていくための必須ワードだと思います。
社会に出て、その大切さに改めて気づかされました。
その言葉があるから人間関係がギクシャクしないんだとも思います。
あ、あと挨拶も必要ですね。

モザンビークはなぜ謝らない文化が根付いたんでしょうね。
不思議です中田です。
2008-08-05 火 21:56:20 | URL | なかた [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2008-08-07 木 12:05:10 | | [編集]
人によりけり
本文ではモザンビークを全面否定する形になりましたけど、
先日、こっちが全然スルーできるくらいの段階で丁寧に謝ってきた生徒がいて、心打たれました。
文化として謝らないとは言えるけど、個人差は確かにあるもので、謝れる人たちが起点となって、関わった人たちに影響を与えていけば文化はちょっとずつ変わっていくものなのかもしれないと希望が持てます。
そして僕自身もその起点になりうる存在です。

v-22あきちょん

『飛躍して言えば、「ごめんなさい」が言えないが為に
戦争も終わらんと。』

確かに、飛躍してるけど納得もできる言葉ですね。

同居人さんは現地でそのことを伝えることができたんでしょうか。
気になるところですv-14


v-22なかた

おお、なかたー。
知ってる人はいいけど、知らない人は混乱しそうな名前やな(笑)

ごめんなさいとありがとうは本当に必須やね。
人間関係の潤滑油やと思うわいな。
人はともすると楽な方に流れがちやから、むしろ恥を忍んで人に謝れることのほうがすごいことなんやと思うで。
日本の由緒ある道徳教育、思想教育に感謝やね。
2008-08-10 日 19:19:30 | URL | りゅう [編集]
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