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りゅう

Author:りゅう
愛媛県出身。
青年海外協力隊19年度2次隊
モザンビーク共和国マプト州の片田舎
美術隊員として派遣。
派遣期間2007年9月~2009年9月

そんなりゅうのJOCVの一部始終を、断片的にお伝えします。

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マルセリーノ・ベルノーゾとの再会。
先日、去年の卒業生マルセリーノ・ベルノーゾとの再会を果たした。
ベルノーゾが携帯を持ったとの情報を得て、連絡が取れるようになったのだ。

  (ベルノーゾとは誰ぞや?>>>こちら>>>「12月3日(月)卒業式、裏切り」「12月4日(火)ラモスからの電話」

昨年12月の卒業式の日に、ベルノーゾと晴れ姿で一緒に写真を撮ろうと約束をしていたのに、結果的に俺がすっぽかしてしまった。
その時すでに携帯を売ってしまっていたベルノーゾとはそれ以来連絡が取れず会うこともできずにいた。

生徒との約束をすっぽかし、裏切ったとさえ感じて、いち教師として随分落ち込んだあの日々から、半年が経過していた。
晴れ姿の写真は取れなかったけど、別で撮っていた写真を、いつばったり会ってもいいように常に持ち歩いていた。
その写真もやっと渡せた。
ビールもおごってやれた。
心の中にずっと引っかかっていたものが取れたような感じ。

ベルノーゾは俺が思っていた以上にいい奴だった。
家に遊びに行ったときもシャパ(バス)代を出そうとしてくれたり果物を買ってくれたり、
飲みに行こうというときも、彼の家の近くのバラッカ(屋台レベルのお店)では、外国人は金をせびられるといけないからと言ってわざわざ街まで出てくれたり。
帰るときもちょっと暗くなっていたのでドミまで送ってくれたり。

こんなにも誠実な青年がいるもんかと、自分の行動も見直さなきゃなと思わせられるくらい、
久しぶりに会ったベルノーゾはいい奴だった。

卒業式の日もそうだったけれど、もう生徒は絶対に裏切らない、自分が損をする気分になったとしても誠意を持ってベストを尽くすのが教師の務めだと、新たに思わされた。

しかし実際はどうだったか。
授業を持って日々生徒に接していると、腹の立つことが多いこと多いこと。
あんまりまっすぐ一本でやってると、正直者がバカを見るとしか思えないことも多々。
誠意を持って接したらそれでいいっていうわけでもなく、相手の誠意という名の見返り、というかリアクションがどうしても欲しくなるのが人間というもので。

でももうちょっとがんばろう

モザンビーク ~人々~ | 15:48:16 | Trackback(0) | Comments(2)
イヴォーネについて
イヴォーネとは、一人の女生徒の名前。

切り紙の授業をしてい3月初め頃、授業中に終わらなかった生徒の為に放課後美術室を開放していた。
みんなあんまり来ない中、やってきたのがその子、イヴォーネ。

彼女はなかなかいいと思える作品ができなくても妥協せず、何度も挑戦していた。
そういうまじめな生徒にはいろんな助け舟も出しやすいので、コツを教えたり、例を見せたりしてあげた。
結構時間いっぱい粘った後で、やっぱり妥協せずに明日また作りに来ますと言ったので、
何かのヒントにでもなればと思って俺の参考作品を貸してあげた。

翌日やってきたイヴォーネは、もう作品を作ってきたので提出したいと言った。
どれどれと思って提出された2作品の一つを見てみると、俺が前日渡した参考作品だった。

あれ?これ・・・?俺の・・・やんね?

いいえ、私が作りました。

いや、でも、どう見ても俺のっぽいし・・・ほんとにあなた作ったの?

はい、私が作りました。

じゃあ俺の参考作品は?

寮の自室に置いてきました。

嘘でしょ?

いいえ。

嘘ついてるんでしょ?

いいえ。

これは誰が作ったの?

私です。


決して認めようとしなかったけれど、ちゃんと自分で作って提出しろと言ったら作り始めたので、それは嘘を認めたと言うことだ。
そう思ってもう一度聞いてみたけど、やっぱり口では認めなかった。

同じものを複製してくるならまだしも、俺のをそのまんま持ってきて。
まじめだと思っていただけにショックだったしがっかりした。
その辺の罪悪感とか道徳心的なものが著しく欠如している人がこの国には多い。
そういうことが分かってきても、ふいにがっかりさせられることは今でも多い。

本当にまじめで熱心に作る生徒もたくさんいますよ。
特に男子生徒。

モザンビーク ~人々~ | 20:30:55 | Trackback(0) | Comments(2)
再会、再会、再会、そして未再会
1月16日(水)

この日は、赴任先がまだ決まってない卒業生に赴任先が発表される日だった。
卒業式の日にちゃんとお別れできなかった何人かの生徒に会えるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いて学校に行くと生徒は数人、数えるほどしか来ておらず、少し落胆しかけたところにジョゼーが来た。
ジョゼーは一緒に卒業展示の準備をした生徒で、写真をあげたいと思っていた生徒だったから、よっしゃと。やったぜと。嬉しかった。
ジョゼーは写真にいたく感動してくれた。

そこからは再会ラッシュ。
アゴストが来て、ラモスが来て、ジュリオが来て、ポリカルポが来て!
卒業式の日の後悔以来、渡すチャンスを2年間待ち続けるつもりで用意していた生徒たちの写真と、
まだポル語で言いたいことを伝える自身が無いので書いておいた手紙。
俺の書いたポル語はちゃんと分かるか一応聞いたら、よく書けてるよと褒めてくれたりして。
いったいどっちが生徒なんだか。

こんなにいっぺんにみんなに会えるだなんて全く思ってなかったけれど、
再会を信じて準備をしておいて本当に良かった。

ラモスは確か以前の発表で赴任先が決まっていたから、この日は来ないものとばかり思っていた。
なので会ったときは驚きと嬉しい気持ちと、以前会う約束をすっぽかかされたのでこのやろうと思う気持ちとが混ざって肩をバンバン叩きながら「おめー何やってんだよ」って日本語で言った。
けどそれは結局笑いながら言ってたから、やっぱり嬉しかったんだ。
んで自分と仲のいい生徒同士が仲良いと知って勝手に嬉しくなったりして。

やっぱり生徒がいると自分の中での気持ちの張りが違う。
何でもできそうな、何でもやってやろうっていう気になる。
こんな気持ちになれるのなら、辛い時があっても絶対頑張れる。そう思った。
絶対頑張れる。

ただ、一番会いたかった、一番会ってビールをおごってやりたかった、マルセリーノ・ベルノーゾにだけは会えなかった。彼はもうマプト州内に赴任が決まっているので、来る必要が無かったのだと思われる。ただ変更が無ければ赴任する地区は分かっているので、調べられるかもしれない。
頻繁に変更があるこの国では少し不安だけれど、希望は持っていよう。

信じて待っていれば、生徒に会える日はいつか来るということに実例が生まれた。
もう、何でもできる。俺、絶対頑張れる。

背景
⇒12月3日(月)卒業式、裏切り
⇒12月4日(火)ラモスからの電話
⇒ラモスからの電話その2


モザンビーク ~人々~ | 05:21:08 | Trackback(0) | Comments(0)
ラモスからの電話その2
12月19日(水)~21日(金)

 19日の夕方、シブトゥトゥイーネの家にいるとラモスから電話がかかってきた。
「今度学校に行くよ、一緒に写真を撮ろう」と彼の方から言ってきてくれたんだ。
約束は21日の朝7時に(早いな)!

 前に書いたように、卒業式の日、生徒と一緒に写真を撮るつもりだったのにその約束をおろそかにしてしまった俺は、そのことをすごくすごく悔やんだ。だからせめて、これからできる一番誠意のこもった対応をするために、たまたま撮っていた彼らのスナップ写真を現像し、手紙を書き、封筒に入れて、会える機会を少なくとも任期の2年間は待とうと決心したんだった。
 だから俺はその電話がすごく嬉しかった。前の電話のときに、会いに行くよって言ってくれてたけど正直半信半疑だった俺は、そういう風に疑った自分を恥じた。
→12月3日(月)卒業式、裏切り    →12月4日(火)ラモスからの電話

 ただその日は一時的に首都から用事で自宅に帰っていただけで、カメラを持ってきていなかった。しかしここで諦めるわけにはいかず、夕方からだけど急いでシャパ(ミニバス)に乗って2時間かけて首都に上がった。
 そして翌朝また自宅に2時間かけて戻り、ラモスに手紙を書いて、封筒に入れて準備を万全にした。
 過ぎたこととして諦めず、また会えることを祈って写真を現像しておいてよかったー。信じてさえいれば、会いたかった生徒みんなにまた会えるんじゃないかと、うきうきとした希望の光を感じながら翌朝を迎えた。

そして21日の朝。
彼まったく来なかったよねー。
待っても待っても来なかったよねー。
メールしても電話してもつながらなかったよねー。
結構、ココロにぐっときたよーーー。


(後日談。その日どうしても首都に行く予定だった俺は15時前に学校を出て、ラモスはその後15時に学校に来たらしい。残念。 )


俺の日本の携帯で自分のキメ顔を撮影するラモス。

Ramos


モザンビーク ~人々~ | 10:50:49 | Trackback(0) | Comments(0)
12月4日(火)ラモスからの電話
 卒業式から一夜明けて、惰眠をむさぼったり少し陶芸の仕事をしたりしたこの日。フェスタの翌日ということと生徒がいなくなったということから、校内はすごく閑散としていた。もういないんだ、という実感とともに、ベルノーゾの笑顔とそれを裏切ったことへの後悔が胸をギュッと締め付ける。せめて携帯が繋がれば良かったのに、ベルノーゾはもう携帯を売ってしまっていた。

 ジュリオは携帯を持っていないし、ポリカルポとアゴストは携帯の番号を知らない・・・とか考えていると、ラモスの携帯番号を知っていることを思い出して、せめて彼だけにでもと、卒業のお祝いと、写真撮りたかったというメッセージを送った。

Os meus parabéns para sua graduação!
Ontem queria tirar foto contigo, mas n pude.
Obrigado para conversar comigo muito.
Bom trabalho! Até a próxima.

 すると夜、ラモスから電話がかかってきた。やっぱりラモスは式典の後、俺を探したらしい。ということはベルノーゾはもっともっと探しただろう。どんな顔で俺を探していたのか、どんな顔で諦めて帰る決断をしたのか。
 これからは絶対に生徒を裏切らないようにしよう。期待に応える努力を怠らないようにしよう。そうしていると、いつか彼らと一緒に写真が取れるような気がする。

 ラモスはまた学校に来てくれると言ってくれた。それが本当に現実になるのか、またいつになるのかは分からないけれど、ベルノーゾだってジュリオだってポリカルポだってアゴストだって来てくれるかもしれない。そんな期待をラモスの電話に見出した少し寂しい一人の夜。

モザンビーク ~人々~ | 06:14:48 | Trackback(0) | Comments(0)
12月3日(月)卒業式、裏切り
 卒業式当日の朝、約束の6時を数分回ったくらいに展示室に行くも、当然誰一人来ておらず一人で少しキレる結局20分過ぎたくらいにちょいちょい現れ始めたけど、今更そんなことどうでもいいよ。

 今日は生徒が主役。生徒の日。朝早くから生徒達はせわしなくうろうろしたり衣装合わせをしたりしていた。晴れ舞台だ。
 何人かの仲良くなった生徒と一緒に、晴れ姿で記念撮影をしようと、俺自身もスーツ姿でうきうきしていた。

 こっちの卒業式で日本と違うところは、生徒が500人くらいいるのに、代表者じゃなく一人ひとりの生徒に卒業証書を手渡すこと。
 そして生徒が前で詩の朗読・・・ではないけれど、思いのたけを発表するマイクパフォーマンスの場がある。他にも伝統ダンスの披露や、許可が出ず今回は出来なかったけど、劇のようなものも企画していた生徒もいた。

●卒業式が始まる頃            ●ベルノーゾとその友達のマイクパフォーマンス
卒業式風景  ベルノーゾと友人のポエジア



 さらに日本と違うところとして、よりたくさんの(おそらく定番の)歌を、時に観客も一緒に歌う。前に立っている人だけじゃなくみんなで参加できる機会があるので、これは日本の静粛な式より楽しい。

●結構壮大で感動する合唱。音楽コースのリードによる。
イーノ


●生徒はコースによって色の違うたすきをかける。
生徒の格好
ちょっと喋ったシャベール君と、知らない子。


 この日は教育文化省の大臣らしき人が来ていて、そのせいか銃を持った警備の人もいたらしいし、報道陣もたくさん来ていた。おかげで俺は夜のTVMのニュースで出たらしい。うふ。
 30分にも及ぶ大臣のロングスピーチを最後に卒業式のセリモーニアは終わりを迎えた。

 シガウーキが恋人(生徒2,3人)と写真を撮ってくれというのを振り払って、来ていたJICAスタッフの方を我が家に招待していると、時間が過ぎて生徒達がみんな帰ってしまっていた。
何人かの生徒とは一緒に写真撮ろうって約束までしていたのに。
ベルノーゾは、式の途中でジェスチャーで合図を送ってくるほど、俺と一緒に晴れ姿の写真を撮るのを楽しみにしていたのに。
俺のポル語の上達を応援してくれたジュリオ、最初に何時間も喋った生徒ラモス、けん玉つながりのポリカルポ、一緒にマサーラの実を採りに行ってくれたアゴスト。

 そいつらの、特にベルノーゾとの約束を守れなかった俺は、教師として、大人として一つの裏切りをした。ベルノーゾがもし、まあそんなもんかと諦めていたとしても、その不信がのちのちの彼の生徒にまで波及することになるかもしれない。一生懸命でない大人を子供は尊敬できない。尊敬できない大人に教わると尊敬できない大人が育つ。自分にそこまで影響力があるとうぬぼれているわけではなく、教師となるベルノーゾのここ一番の生徒のための頑張りが、俺が約束を破ったばっかりに少しでも弱くなるのではないかと、ただそれだけが悲しい。悲しくて悲しくて、後のフェスタで飲みながらも涙が出そうになった。一旦、門の外のシャパ乗り場まで探しに行ってはみたものの、シャベールしかおらず彼らには会えなかった。
 ジュリオに関しても、俺の歩み寄りが足りなかったのは2度目だ。彼はきっといい先生になるに違いない。けれど、そんな中で俺を思い出すときに一抹の悲しみが付きまとうかもしれないのはこの日の俺の裏切りのせいだ。
 生徒が帰った後の学校の廊下は、飾り付けられている分、いつもよりも閑散と、長い廊下だった。

モザンビーク ~人々~ | 07:48:31 | Trackback(0) | Comments(3)
11月28日(水)轆轤と浮気相手たち
11月28日(水)ロクロと浮気相手たち

前日から試しに始めたロクロの作業で、今日は削りをやってみた。
結構湿っていて軟らかかったのに、硬くて削りにくかったりした。
土ものってそんなもんやっけ。
久しぶりのロクロで、しかもいつもと逆の左回転だったこともあり、作りはいまいち。
それだけじゃなく、後日、恥ずかしくて見せられないくらいS字の亀裂が入ってしまった。
次はもっと気をつけて。


同僚の美術教師の軽いカミングアウトによると、4人の浮気相手たちが
同時に美術室に居た状態があったそうな。
一人は目の前でキスしたからすぐ分かったのだけれど(すんな!)、
浮気相手たちが4人もいて、全部生徒だってのが驚きである。
これはモテモテということなのか?

しかも同じ敷地内にいるのに奥さんだけそれを知らず、
浮気相手達はお互いにその存在を認め合っているらしい。
これがこの国の文化ということだが、それだけでは成り立たない。
公衆の面前でキスするくらいだから周りの人たちをもそれを知っているのに、
誰かが告げ口をしたり異議を唱えたりというようなことをせず、
完全に容認してしまっていることも含めてこの国の文化なのがすごい。
奥さんは本当に知らないのだろうか?
校長も知らないらしいし、奥さんと併せて俺のブログを紹介してみようか。
読めないだろうけど。

モザンビーク ~人々~ | 18:15:43 | Trackback(0) | Comments(0)
おつり、ちょろまかされても
11月26日(月)追試一人に監督二人

 この日から追試とかの第2期試験が始まった。監督をしたのは教育方法論か何かだったような気がするけど、受けている生徒はたった一人。それに試験監督2人という、監督の方が生徒より多いという状況に。

 その時に暇だし窯作りの本を読んでいたのだけれど、読めば読むほど具体的に足りないものが出てくる。
誰かが、「お金がないから何も出来ないという人は、お金があっても何もできない」と言いはしたが、いかんせんどうしてもお金に目がいってしまう。
それ以前に、ここで本当に必要な物が何か見極めないと。
日本の物を当てはめようとするのは無理がある。



11月27日(火)

 生徒の一人、マルセリーノ・ベルノーゾと一緒に村へお買い物。
行きのシャパで二人で10MTnのところ、つい20MTn札を出したら、案の定、おつりをごまかそうとしてきた。
同じところから乗った別の生徒はエルメニジルダは5MTn払ってさっさと行ってしまった。
何で自分たちだけ高いんだとマルセリーノが猛烈に講義してくれたが、
結局おつりは6MTnしか返してくれず、7MTnずつ払ったことになった。
ちょうどで払わなかった俺も悪かったが、意地汚くコソコソとくすねようとする根性が腹立つ。
明らかに、東洋人の俺の顔を見てちょろまかそうと思ったに違いない。
それでも、俺のおごりのお金を必死で取り戻そうとしてくれたマルセリーノへの信頼度UP。
オブリガード。

モザンビーク ~人々~ | 18:14:38 | Trackback(0) | Comments(2)
モザンビークでクレームを
先週の日曜日、赴任前に外資系の大型ショッピングセンターでマットレスを買った。
そして月曜日の夕方にそれを配達してもらうようお願いしていたので、
その翌日火曜日の朝の引越しにちゃんとマットレスが持っていける予定だった。

・・・予定だった・・・。

つまり来なかった。

途上国でこんな配達をお願いするには覚悟が必要だってわかってるつもりだったけど、外資系のきれいで大きな店だったし、ちゃんと明日届きますか?それは確かですか?と、あまりにしつこく聞きすぎてしまいには店員が怒り出して、ああ、疑ってごめん、なんて思っちゃったから。

翌日、約束の時間を30分過ぎても一向に来ないし連絡も無い。
しかたなく店に電話してみると、たらいまわしにされたあげく、担当者は、マットレスの状況が良くない、後でかけ直す、と言う。
この時点で85%くらい受け取ることを諦める。

かけ直された電話では、「13時には配達車は出発した、問題無い、あと20分待て」と言う。
13時?今18時で店から車で15分の距離にいるのに。
この時点で98%くらい諦める。

20分待っても30分待ってももちろん来ないのでもう一度電話すると、
「もう閉店近いし明日朝持っていくよ、問題ないから待ってろ」と言う。
「明日8時半に引越し出発だから、今日中に持って来いって何度も言ってるじゃないか」
「だから明日9時に開店だから、9時半には持っていくよ」という。
バカか?と真剣に悩んだが、来ないものは来ない。


あれから赴任して数日、週末首都に上がってきたので、金曜日に店に電話して、土曜の朝一で持って来いと言ってみた。
「オーケー了解」と、あまりに即答だったのでさっそく胸に不安の嵐が渦巻く。
翌朝、期待通り来ないしウンともスンとも連絡がない。
担当者の携帯に電話してみるとなんとつながらず。

しようがないので店に電話して担当者につないでもらうと、
「もう車は出発した、問題無い、20分待て」と言う。
その20分て時間は、お前にとっては永遠か?
というポルトガル語は、俺にはまだ言えない。
怪しいながらも、「本当に?」というばかげた質問しかできなかった。

当然、20分待っても30分待っても来ない。
また店に電話すると、担当者は忙しいから出られないと言われる。
さすがの俺も少しキレそうだった。

そしてその後また電話すると、めんどくさくなったらしく今度は宅配ドライバーの電話番号を教えてくれた。
ドライバーに電話してどこにいるのか尋ねると、「今店にいる、すぐ出発するから20分待ってろ」という。
だからなんなんだその20分ていう時間は!
ていうかやっぱりまだ出発してないじゃないか嘘つき(T_T)

やっぱり、20分待っても30分待っても来ないので、1時間が過ぎた頃もう一度電話。
ドライバーは、「今行っているとこだ、7分か10分で行く」と言う。
永遠かとも思われた20分という時間が、ついに半分の10分にまで縮まった。
そしてやっとマットレスは届いたが、10分ではなく20分経った後だった。

どうしてこんな簡単な仕事を、後回しにして嘘までついて客をあしらって、何度も電話して尻を叩いてからじゃないとできないのか、理解できない。
が、これがこの国なんだと思わざるを得ない。
悪態の一つもつきたくなるが、それはまるで意味の無いことで。

途上国経験者の方なら、「よくあるよくある」とうなずくであろう、この事例。
こんなのいちいち書いてたらきりが無いくらい、2年間でたくさんの障害があるんだろうなあと思うけど、最初なんでとりあえず書き記してみた。

日本ではありえなかったけど文句と催促の電話って、言うと結構スッキリする。
無駄だと思っても電話しないと腹の虫がおさまらなかった。
途上国に住めば、そりゃあ多少性格が変わることもあるんだろうなあと、納得。

モザンビーク ~人々~ | 17:07:47 | Trackback(0) | Comments(4)
モザンビークのチャイナとジャパン
中国人は世界中にいて、世界中で商売をしている。
ここモザンビークでもそれは例外ではなく、1万人ほどいるとのこと。

モザンビーク人はアジア人が珍しいのか、
街を歩くと毎日のように「シーナ!」「シネース!」 「ニイハオ!」
と声をかけられる。

かなりの数のモザンビーク人は、日本と中国が違う国だと分かってない。
その証拠に、仮にも高給取りのエリートであろう語学学校の先生に、

( ・ω・)∩ハイ先生、日本語と中国語は違うので、日本人と中国人は会話できません
というと、
Σ(゚Д゚;エーッ!
っと驚いていた。
驚きたいのはこっちだ。
が、モザンのことを日本人がほとんど知らないことを考えると、
それもいたしかたないことなのか。

モザンビーク ~人々~ | 08:15:40 | Trackback(0) | Comments(2)
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